古典に学ぶー供,修裡

  • 2017.04.22 Saturday
  • 12:00

    

近所の池で撮影 200mmレンズ

 

   爺の喫茶室へようこそお越し下さいました。 

 

   桜の季節も足早に去って行きましたが如何お過ごしでしょうか。

   今月も時節の移ろいに加え古典に学ぶシリーズの記述を試みます。

   最後までコーヒー片手にお付き合い下さい。

 



 

 昨今の世界情勢 

 

相変わらず暗い話題が満載の 我らの地球環境です・・

まずシリアの生物兵器爆弾事件から採り上げましょう。

ネット情報を駆使して正規のTV報道では得られない裏社会を覗いてみます。

 

まず事の真相は誰が何の目的で生物兵器を使ったか?

犯人はアメリカのネオコン組織と組んだ共和党の右派組織に行き当たります。

この組織が実行をさせた悪玉の親分で、実行したのはアメリカ軍でありそれを命じたのはトランプ

大統領である。

(これを証明する手段はありませんが、下記の通り解釈すれば全て無理なく物事の道理が瑕疵なく

説明出来る、この事に既に気が付いた高名な政治評論家氏の言を参考にしております。)

 

そもそもの発端は、トランプ大統領を弾劾しようと裏で画策しているネオコン組織とトランプ大統領との間の確執に事の本質があるとの見方が報道されております。

共和党の右派はロシアを蛇蝎のごとく嫌っており、ロシアと仲良くしたいトランプ大統領との間の

政治的な路線対立に源流があり、この確執をネオコン連中が悪用してトランプ氏を潰しにかかって

いるようです。

 

そこでロシアに一泡吹かせたい・・とトランプ陣営は画策した。

手法は、生物兵器をシリアが使って反政府組織を空爆した。

その裏でロシアが糸を引いていると云う虚構を作り、これを基として情報戦に持ち込み世界を欺く

作戦です。

表面上はヨーロッパ各国と日本もシリアの生物兵器使用に批判の意を表明し、国連の安全保障委員会で議決された・・。

 

当然シリアもロシアもまったくこの生物兵器の使用にはまったく関与していないし・・これが事の

真相でしょう。

 

シリアのアサド大統領に対する日本人の独占インタビュー動画を見ました。

この動画は彼の人間性が溢れたとても良い印象を持つ動画でありました。

同じ自国民を生物兵器使って殺傷する必然性がまったく彼には無いのであり、彼の大統領は無実の

罪を背負わされている・・と、この確信が持てました。

 

彼の人間性は極悪の如くのようにアメリカのCNNを含めた報道機関が、平然と捏造しておりますが、実際の人物像は真逆であり冷静沈着・とても知的レベルの高い優れた指導者であるとの印象に

溢れている・・との確信が持てました。

・・でないとシリア国民から大統領の地位は与えられない筈でありましょう。

 

報道機関のCNNなどはネオコン組織に支配であれた一員であり、平気でフェイク(偽)ニュースを垂れ流しており、このニュースソース源を日本の報道各社も自動的に国内に流しております。

日本の報道機関はニュースソース源の正確さまで追及しておらず、アメリカのネオコン組織に牛耳

られた大手報道機関の嘘情報を、彼らの為に都合が良い形に情報操作され、意図した虚構が全世界

に向かって垂れ流れております。

 

シリアのアサド大統領を極悪人に仕立てたアメリカのネオコンは、人間としての一線を踏み越えた

と称して自立型誘導ミサイル(トマフォーク)約60発を使ってシリア軍の軍事施設を攻撃する素振

りを見せました。

実は正確に誘導できる筈が、わざと狙いを外して爆弾投下しており、飛行場にある戦闘機への

命中率は20%に制御されていた・・とネット報道があります。

しかも攻撃はロシア側に予め事前通告されていた・・と。

 

おまけに原子爆弾の規模に次ぐ世界最大の超大型爆弾MOAB兵器(重量約10トン)を、イスラム国と称するテロ集団組織に対して始めて投下しました。

これにより約百名のテロ集団メンバーが殺害されたとの報道があります。

 

ロシア主導でこのテロ集団組織への攻撃が為されておりますが、アメリカもロシアの先行を許さず

このテロと戦う・・との意思を示したとあります・・が、小生はまったく茶番劇であると思い

ます。

故は、そもそもイスラム国樹立に手を貸したのはアメリカCIA組織が関与し、武器を彼らに与え騒乱

の基を作っており、更に同テロ組織を今度は殲滅すると宣伝し大量兵器を彼らの頭上で使うのは

矛盾の極みです。

これは偏にアメリカのネオコン組織による戦争屋としての兵器販売で儲けを得たい・・と云う

死の商人の暗逆が其処にあるからです。

 

この恐るべき闇組織の暗逆を封じ込めない限り、無辜の罪なき人々が命を奪われる悲惨極まる残虐

な世相は収まらない理屈であります。

このネオコン組織を封じ込める為にトランプ大統領は立ち上がった筈です。

アメリカの政治的立場を利する目的と、このテロ集団の悪玉組織を潰す狙いで彼の大統領は涙を

呑んで兵器に手を出し、自作自演をしたのでありましょう。

 

ある識者曰くこのトマフォークなる高額兵器を使ったのは、在庫処分であろう・・と指摘します。

加えてMOAB兵器の威力を始めて実践で試した・・と。

考えれば考える程、空恐ろしい連中です。

曰く民衆主義は兵器が無いと守れない・・と彼の新大統領は発言しております。

 

上記罪をなすり付けられたロシアのプーチン大統領は・・と云えば、この一連の暗逆の真相は彼の

持つ諜報機関によって完全に把握されており、国連で我慢しながら非難決議に賛成する立場に

回っており、これもアメリアに裏で恩を売る結果として作用しております。

トランプ大統領の窮地を救ったのは実はプーチン大統領だった・・。

 

更にこれは北朝鮮情勢と強く結びついております。

トランプ氏はオバマ氏とは違って、優柔不断ではなく悪には決然として対処する・・と云う

メッセージを北朝鮮の頭が狂った指導者に送っております。

空母派遣は単なる脅しでは無いぞ!・・と。

加えて中国の習近平氏はアメリカに行って、トランプ氏からお前が管理しないならアメリカだけで

対処すると通告したのであります。

 

習氏との晩さん会の席上で、デザートタイムの最中にトランプ氏は習氏に只今シリアをミサイル

で攻撃したと伝えます。

習氏は当初何を云われたか?にわかには理解出来ず、改めて発言内容について質問し直したと。

甘い物を口にしながら、突然激辛情報を耳から詰め込まれた習氏の心情は・・??

 

ロシアに味方したい中国の習氏は、腹の中では腸煮えくり返っているのに記者会見の場では、作り

笑いをした 苦しい顔が印象的でありました。

アメリカの軍事力の強大さを見せつけられた習氏は、この屈辱は軍事力強化で絶対に返す・・と

彼は決意した事は想像に難くありません。

 

習近平氏は国内の都合で十分な対応が北朝鮮に対して出来ない旨を説明した様子です。

中国の評論家氏が曰く、北朝鮮と国境を接する中国軍の軍区組織はまったく党中央からの統制が

利いておらず、北朝鮮に有事が発生すれば一緒になって敵と戦う心算であると。

故に北朝鮮のキムジョンウン氏に中国への亡命を勧めている最中だと・・。

 

彼の頭のおかしい指導者のみ排除すれば、北朝鮮の核開発問題は解決するとアメリカは考えている

様子ですが、小生にはそのように見えないのですが・・。

南の韓国は・・と見れば、これも混乱の極みであり北朝鮮に融和する新大統領が誕生する危険性が

高いとアメリカは見ており、その5月上旬の大統領選挙までにこれらの一連の課題を解決したいと

考え、軍事作戦も辞さずとの立場であるようです。

 

もしアメリカが北朝鮮に軍事作戦を強行すれば、北のミサイルが我が国を襲う事は十分予測され

ます。

それにしても我が国の国民はのんびりしたものですね!

平和ボケの極地であって国会議事堂では森友学園問題で盛り上がり、一体この国の政治屋は自国

防衛に関して何も考えていない証拠であるとしか見えませんが・・。

アメリカが軍事発動すれば、南の韓国も大被害が発生する事が考えられます。

 

北のミサイルが最近発射したら空中爆破する事故が多発しております。

これはアメリカのサイバー攻撃の成果であるとの見方が一般的です。

北はこれに既に気が付いておりましょう。

 

北朝鮮の核開発を今まで容認してきた、その根本要因はこれもアメリカのネオコン組織に行き

当たります。

即ち北朝鮮を利用して彼らの世界戦略に利用しようと企んでいたとの報道があり、ネオコン組織の

世界戦略の中で北朝鮮を泳がせる、この方針であった・・と。

しかし今回トランプ大統領となり、この泳がせ作戦は北朝鮮のICBMがアメリカ本土を襲う事態へと変貌しようとする矢先に、これを殲滅する方針に変更された。

 

その泳がせ作戦にも中国を利用したとあります

即ち中国国境を接するバッファーに北朝鮮を利用する必要が中国にはあり、北朝鮮にパイプライン

でせっせと石油を供給しており、その裏で北のミサイル開発をさせる余力を得た・・と云う次第

です。

そのミサイル技術をイランに売り外貨を稼いでいたという事実が存在します。

 

中国は北朝鮮からの石炭輸入を停止する挙に出ており、これは中国の態度表明でありアメリカに

協力しているポーズを示しているに過ぎない。

このお駄賃で中国の為替操作国としての指定をアメリカは見送ったと。

更に中国は石油までは止められないだろう・・とアメリカは見ておりましょう。

故に中国が協力しないなら、アメリカ単独で北を制裁すると習氏に申し渡した。

 

北朝鮮を今回潰す事は、廻り回ってイランを潰す事にも繋がるとアメリカでは考えている筈です。

最近イランの核開発について、アメリカは方針転換して批判のボルテージを上げており、このような視点から世界情勢を見れば、各々は完全に裏で繋がっている事が鮮明に分かります。

 

中国の海洋開発(進出)で空母を建造しており、その1号はつい先だって進水した様子ですが、

南シナ海を我が内海の如く支配しようとする戦略に対し、アメリカはこれを絶対に許す分けには

行かないので、北朝鮮問題が片付いた後に何かまた軍事的に対処がある筈です。

アメリカの空母が3隻も極東に配置される事は、かつて今までまったく無かった事です。

(内1隻は横須賀でドック入り中)

 

尖閣列島を中国が奪う計画がありますが、アメリカの目の黒い内には中国の野望を満たす事は無いと見えます。

加えて日本一国でも中国に攻められてもこの対処は、今なら対応可能でしょう。

しかし日本のデフレ経済の状態をこのまま放置すれば、経済的落差により彼の国との軍事力落差がますます拡大し、我が国も取り返しが付かない状況へと追い込まれる事は火を見るより明らかで

ありましょう。

 

ともかく世界の国を統べる指導層の頭が錯乱し狂っている事は、上記を読んでも理解出来ます。

分けてもアメリカのネオコン組織に代表される民主党・共和党を問わず民主主義の名の元に強力な軍事力にものを言わせた、勝手次第な振る舞いには困ったものです。

軍事力の連鎖反応である北のミサイル・中国の海洋進出暴発等々・・世界は平和を追求する次元

からは遥か遠い低次元で、甚だ残念ながら蠢いておりましょう。

 

小休止

 

 



 

 立正安国論の続き 

 

先回に続いて解説を追加します。

 

先回も記述しましたが、日蓮大聖人の一生を以て当時の為政者への諫言は、自ら何度も書写され

且つ死期を悟った場でも、門下の弟子に講義をされておられます。

正しく日蓮大聖人の生涯は、立正安国の実現へと全身全霊を捧げられた苦難の闘争人生であった

次第です。

 

そして大聖人在世のみならず、その精神を弟子へ・・未来へ・・と継承させる歩みであった次第

です。

この立正安国論は天災・飢饉・疫病・蒙古襲来の災難予言・などの惨状を嘆く客と、その各種災難

の根本原因を解き明かし、解決への手段を解く主人との対話と云う形で記述されております。

 

客が疑問として問うて曰く・・から始まる質問と答えは十問九答の形式を取ります。

そこには正法によって民衆が幸福と平和を実現する、仏法上の御本仏の大慈悲と大熱情が強く脈打

っており、時代を超えて相手の心を開き、真実を広げる対話の極意が示されております。

 

若干先回と同じ趣旨の処を改めて記述します。

大聖人曰く・・

 

「 主人悦んで曰く、鳩化して鷹と為り 雀変じて蛤と為る、悦ばしかな汝欄室

  の友に交わりて麻畝(まほ)の性となる。

 

  誠に其の難を顧みて専ら(もっぱら)此の言(ことば)を信ぜば、風和らぎ

  波静かにして不日(ふじつ)に豊年ならん。

  但し人の心は時に随って移り 物の性は境に依って改まる、例えば猶(なお)

  水中の月の波に動き 陣前(じんぜん)の軍(いくさ)の剣に靡く(なびく)

  がごとし。

  汝当座に信ずといえども 後定めて永く忘れん、若し先ず国土を安んじて

  現当を祈らんと欲せば 情慮を回らし いそいで対治を加えよ。 云々」

 

現代語訳

 主人は喜んで言った。

 故事に鳩が変化して鷹となり、雀が変じて蛤になるとあるが、そのようにあなたは考えを大きく

 改められた。

 喜ばしいことに、あなたは芳しい欄室の友に交わり感化を受けて、蓬(よもぎ)のように曲がって

 いた邪信が麻畑の中で正されたように、まっすぐに正法を求めるようになった。

 

 まことに近年の災難を顧みて、もっぱら私の述べた事を信じるなら、風は和らぎ浪は静かに

 なって、日も経たずして豊年となるだろう。

 

ただし、人の心は時によって移り変わり、人物の性分は環境によって改まるものである。

例えば、水面に映った月が波の動きによって動き、戦に臨んだ軍隊が剣の動きに応じてなびくよう

なものである。

 

この段で大切な事は、客が考え方を素直に変えた事に対して、故事を引いて主人が喜んでいる様を表現しております。

汝欄室の友に交わりて麻畝(まほ)の性となる。

 

この欄室の友とは・・

欄の香りのように人徳の薫り高い人物の事です。

蓬のようにねじ曲がっていた心が、欄室の友である人徳の高い人との交わりの中で、ねじ曲がった心が感化され麻のように真っすぐで素直な心根に変化するとの例え話として記述されております。

 

良き友との交流を通し、人は感化されより良き人生を歩む軌道に入れる理屈です。

ここでは自分の心が素直になった結果、自分では気が付かない長所・強さなどが発揮され自他共に

輝いて行く幸福境涯を持つ人生を歩む事が可能となる理屈です。

 

大聖人は他の御書で、「夫盗人なれば妻もこれまた然・・云々」とあります。

悪心に感化されれば人の人生の軌道は狂います。

類は類を呼ぶとも申しますが、良き人生を歩む為には大聖人が仰せの如く、欄室の友に交わる事が非常に大切であります。

特に若い世代は感化される度合いが高く、人徳の高い集団と交誼を持つ事が必須となりましょう。

 

ここでは、此の言(ことば)を信ぜば、風和らぎ 波静かにして不日(ふじつ)に豊年ならん・・と仰せです。

大聖人の言葉を信じて正法に帰依すれば、風は和らぎ時を経ずして豊かな人生となろう・・と指摘されております。

 

この主人が客の心の変化を喜びつつも、人の心は時によって移ろい変化し環境によってその性分が改まる・・と仰せです。

只今は正法を受け入れた!・・と決意してもこの場を去り、正法の環境から遠ざかってしまえば、その決意を忘れしてしまう と指摘されております。

 

我が師匠は以下のように申されます。

民衆は真の幸福が得られる生きる為の哲学を求めている・・と。

この地球上に暮らす万民が生命の尊厳性を輝かせつつ、対話の力によって善なる連帯を広げ、調和と共生できる社会を建設して行く。

このような新しい社会活動・運動を心の底から深く求めている筈だと。

 

この夢を体現する為の国内外を含むSGI活動は、立正安国の旗を掲げ民衆の幸福と平和の為に現実

社会の変革に挑戦し行く使命を貫いて活動しております。

そこには、人間の為に必要な真の宗教哲学が有り、その精髄がみなぎり連帯の輪を呼び共感を呼ぶ

力がある からです。

これこそが、仏法の根幹を成す精神でもあるからです。


 

小生の体験

 

小生は仕事上でも人間関係でも行き詰まった体験を持ちます。

分かり易く申せば、自分らしさを社会の生きる現場で表現出来ない境涯に堕した体験を持ちます。

そして欄室の友と出会い、仏法哲学の何たるかを知り、人間の生きる本質を悟り、人間の存在の

何たるかの一端を正しく理解し得た。(と感じております)

 

即ち立正安国を追及する事は、机上の空論では無く具体的な人間として如何に生きるか?・・と

云う本質を追及する活動の中で、自分自身の真の姿を現実の生活の上に見出す事に通じる次第

であります。

大きくは国家次元から小は家庭次元の時空間の中で、現実の悪環境下で如何に生きるか??・・と云う命題に対し、逃げず真正面からこれと向き合い、如何にしてこの悪環境の娑婆世界を少しでも良い方向へと転換させられるか。

この活動の万般が、世の人に取って必要であると感じております。

 

それ故に社会の極悪人が蠢く国際社会の実態を知り、その上で我が国の庶民が正しい情報に

基づき、平和で賢い社会を建設する必要があると考える次第です。

アメリカの生物兵器により、無辜の市民の命が沢山失われております。

シリアの市井に生きる民衆が最大の被害者でありましょう。

アメリカと云う物質文明が手にした結果、起こった悪の真実を知るべきでありましょう。

 

己さえ良ければ良い!とする、他の不幸の上に己の繁栄を築く事に対して何の疑問も持たない民族

の行く末は・・これは滅亡の姿しかありません。

仏法に云う三災七難の姿がそこには存在します。

国際テロが何故彼の国で頻発するか?・・共存共栄の精神に著しく欠くからであると、さような

印象を小生は持ちます。

 

政権内部の抗争は、自界叛逆の難そのものであります。

中国に於ける政権からの脱落は、自分の生命を失う事と同義語です。

他国侵逼の難は政治が乱れ・人心が乱れた結果この災難を自国に呼び込みます。

北朝鮮にその例を見ますが、近隣の平和国家を巻き込んで周囲を不幸のドン底に引きずり込む威力を持ちましょう。

 

この災難から逃れるには、丸腰で無防備に平和を語るだけでは決して国民は幸せな社会を確立できない筈です。

毒には毒を以て制する・・所謂自己防衛は甚だ残念の極みながら、避けて通れない事は明白の理です。


 

 立正安国論の結論の項 

 

先哲は以下の如く獅子吼されております。少し難解ですが頑張って読んで下さい。

 

「 客の曰く 今生後生誰か慎まざらん 誰か和(したが)わさらん、此の経文

  を披(ひら)いて具(つぶさ)に仏語を承る(うけたまわる)に

  誹謗の科(とが)至って重く毀法(きぼう)の罪 誠に深し、

  我一仏を信じて諸仏を抛(なげう)ち 三部経を仰いで諸経を閣(さしお)き

  しは、是れ私曲の思いに非ず、即ち先達の詞(ことば)に随いしなり、

   十方の諸人も亦復(またまた)是くの如くなるべし、

 

  今の世に性心を労し 来生には阿鼻に堕せんこと文明らかなり 疑う可からず、

  弥(いよい)よ貴公の慈愛を仰ぎ益(ますます)愚客の癡心(ちしん)を開けり、

  速やかに対治を回らして早く泰平を致し 先ず生前を安んじて 更に没後を扶

 (たす)けん、唯我信ずるのみに非ず 又他の誤りをも誡めんのみ 」

 

現代語訳

客は言った。今生の事も後生のことも、誰が身を慎(つつし)まないことがあるだろうか。

誰が心穏やかでいられるだろうか。

この経文を開いて詳しく仏の言葉を承ってみると、正法を誹謗する罪はまことに重く、正法を破壊する罪はまことに深い。

 

私が阿弥陀という一仏を信じて諸仏をなげうち、浄土の三部経を仰いで諸経を閣(さしお)いた

のは、自分勝手な誤った思いからではなく、先達の言葉に従っただけである。いずれの人々もまた同じであるにちがいない。

 

今生には仏性を具えている心を消耗させ、来世には阿鼻地獄に堕ちてしまうことは、経文に明らかであり、その道理もつまびらかである。

疑うことはできない。主人の慈悲あふれる訓戒を、いよいよ仰ぎ、ますます自分の愚かな心が開いていこう。

速やかに謗法を滅する方策をめぐらせて、早く天下泰平を実現し、まず生前を安穏なものとし、

さらに没後も救われるものにしていきたいと思う。

ただ自分一人が信じるだけでなく、他の人々の誤りをも制止していこう。

 

訳語の解説

この文章は本論の結論の部分に当たります。

この立正安国論を客が学んで、客が自ら陥った謗法の罪の理由を正しく理解し、これを反省するとともに正法に帰依し、自分と同じように邪義に惑わされた多くの人々を目覚めさせる・・と客が

誓っている場面です。

 

この文章のはじめの部分では・・客が曰く・・

主人が示した経文に照らし、正法を誹謗する罪はいたって重く、正法を破壊する罪は実に深いこと

が理解できた・・と、納得する場面の表現です。

 

これまで阿弥陀仏を信じて諸仏をなげうち、浄土教の三部経を崇拝し、諸仏をさていおいたのは、

自分が仏法を学んで得たからでは無く、先達の言葉を安易に従った為であり、他の人々も同様で

あろうと述べております。

 

ここで言う処の三部経とは、浄土経(念仏)が拠所としている阿弥陀経・無量寿経・観無量寿経

三部を指します。

このように鎌倉時代のみならず、現代社会でも念仏は廃れておりません。

我が家も改宗する前は念仏を唱える宗派に属しておりました。

その故は既に解説しました通り、江戸初期の戸籍制度である寺への帰属がきっかけであり、正しい

仏法を学んだ今は、念仏は破棄しました。

 

大聖人は続けて曰く・・

 

念仏が今世でも来世でも人々を苦しめる事は、経文に照らしても道理の上からも明らかであり、

疑う余地ないと述べております。

曰く念仏を信じて行けば、阿鼻地獄に落ちると表現しております。

念仏は既に述べました通り、厭世思想であり諦めの境地であります。

 

今生の人生を棒に振る思想であり、自分の持って生まれた仏性(可能性)を泥中に捨てるが如くの

思想であり、人生の生き方となります。

故に阿鼻地獄の様相を呈する・・と大聖人は指摘します。

 

日蓮大聖人は、この慈悲溢れる訓戒を仰いで、素直な心で自分の愚かな心を開き正法である法華経

に帰依しなさいと指摘されております。

即ち念仏である謗法を滅する方策をめぐらせ、早く天下泰平を実現し、自分の人生を安穏なもの

へと変革し、加えて没後をも救われる生き方をする方向へと方向舵を切りなさい・・と勧めて

おられます。

 

更には自分一人が良い目に遭うだけでなく知り得た内容を、他の誤れる人々にも啓蒙し真の仏法

哲学に基づいた正しい人生を歩めるようにしなさい・・

これが立正安国の正しい姿である・・と申されております。

 

所詮仏法とは申しても道理に過ぎない・・これが大先達である日蓮大聖人の言葉です。

仏法の教祖釈尊が末法である、現代に残した真意は全てこの法華経の中に凝縮されております。

念仏は法華経を説く前に、今日の飯が食えない一般大衆に対して、より高い精神境涯に導く為の

方便の教え(三部経)なのであります。

 

現世の厳しい現実社会を悠然と乗り越えて行く為には、厭世思想では豊かな人生を構築出来る筈も

なく、既に種々記述して参りました如く法華経に帰依し、人間革命を起こす事が出来れば、眼前の

人生模様は激変致します。

そしてこれを現実社会で痛烈に体験して参りました。

 

これを読まれる念仏宗に帰依しておられる方は、是非鎌倉時代の大先哲の言葉に眼を開き、我が

人生を豊かにして頂きたいと強く念願する次第です。

諦めは人生の敗北・・精神の阿鼻地獄でありましょう。

そして人間革命に至るには、たった今から一歩前へと歩み出す勇気が必要です。

そうです・明日からでは無く、只今から人生の境涯を開く場へと、我が身を移すだけであります。


 

 立正安国論のまとめ 

 

上記の如く欄室の友と交われば正しく我が境涯麻畝(まほ)の性へと大変身を遂げるのです。

そうすれば、我が人生の前は前途洋々と開けて参ります。

小生の生き詰まった人生からの脱却例を見ても、正に大聖人の仰せの通りで実証済みです。

後は自分の境涯革命に向けて勇気ある行動あるのみであります。

 

さような法華経で言う処の地涌の菩薩は、我が日本国には概ね人口の約10%存在します。

創価学会組織・SGI組織に身を委ね人生を謳歌して行こうではありませんか!。

正しい道理・理念に基づく人生の歩みの上には、納得の行く我が人生が花開く!

これも至極自然な成り行きであります。

 

法華経の題目である南無妙法蓮華経のお題目には、妙の三義がございます。

 

1)蘇生の義・・弱っている生命に火が灯り、本来生まれながらの長所が必ず発現する義。

2)明らむ義・・物事が人間道と云う道理に従って明らかに見えて来る義。

3)開く義 ・・我が身の前が、人生が必ず明るく開けて行く義。

 

詳しくはまだ沢山存在しますが、この点を正しく理解するだけで十分です。

社会で活躍できるエネルギー源が、この法華経のお題目の中に存在します。

そして既に世界で1千数百万人の大群衆である地涌の菩薩が、全この体験を共有し全世界で大活躍

しております。   

 

正しく地球規模でこの人間を活かす宗教哲学は、爆発的に拡大しており法華経のお題目を唱える

声は、この地球上で日が落ちる時間帯が無い所まで拡大しております。

日蓮大聖人が鎌倉時代に獅子吼して説かれた立正安国の姿が、現代社会の中で今正に大きく育ち

花開いております。

人類の恒久平和へ向けた、困難な建設作業にご参加いただける事を願って止みません。

・・この地球上から悲惨と云う二文字を無くする為に・・

 

平然と数百人規模の頭上に生物兵器を使う輩を、この地球上から殲滅する為に、兵器を使わず対話

の連帯で羽交い絞めするが如く、其の為に人間道と云う理念の下、連帯の輪を構築すべく、日々

地道に額に汗して黙々と努力を積み重ねる我が団体に、絶大なるご支援とご理解を賜りたい次第

なのです。

 

結句・・立正安国の姿は最終的には娑婆世界で生きる過程で、我が身の人生を最高の境涯に高めて

行く為の理念であり、実践活動の姿そのものであると・・。

この事実をご紹介して、立正安国論の入門編を終了とさせて頂きます。

 

朝鮮半島有事の危機に際して・・

爺拝 2017年4月 吉日

 

 

古典に学ぶー供,修裡粥[正安国論ー後編

  • 2017.03.28 Tuesday
  • 13:36

                 

                 滋賀・長浜盆梅展

 

           爺の喫茶室へようこそお越し下さいました。

 

 

      前回に引き続き日蓮大聖人の立正安国論を紐解いて行きましょう。

      前回は為政者が乱れる故に、国に災難を招き寄せる点を記述しました。

      主に中国の指導者の例を引きながら、庶民を殆ど顧みる事がない

      農民戸籍の市井に暮らす数多の庶民が、塗炭の苦しみを味わう因となる

      所以を記述しましたが、今回は題号である安国の部分を記述します。

 



 

 

  安国の意味について・・

 

この言葉は国を安んじると書いてあります。

ここでは何を以て安んじて行くか・・と云う点が重要となります。

安国の言葉に対して日蓮大聖人以前の仏法では護国と云う言葉が沢山使われます。

この護国とは即ち国である処の国境線を守る・・と捉えて間違いありません。

 

更に変じて鎌倉時代の意味では国を構成する為政者を守る・・と云う概念が存在し、其の為に宗門は為政者に祈りを捧げる・・このような姿でありました。

太平洋戦争に突入する前に、神の象徴である天皇を守ると云う概念を日蓮大聖人が唱える安国と捉えて思想操作が行われ、この日蓮大聖人が説かれる立正安国論を日蓮宗門が先頭し、悪用された経緯が

あります。

 

即ち法華経の宗門が率先する形で、日蓮主義と云わせて民衆を誑(たぶら)かし戦争に突っ込んで

行ったと云う悲しい歴史が存在します。

この国境線を守るのはあくまで護国であって、日蓮大聖人が云われる処の安国の姿では決してあり

ません。

(国境線の拡大を図る覇権主義でもありましたが・・)

 

現在でも安国の意味を、かなりの人々が誤解して理解している模様です。

日蓮大聖人が云われる処の安国とは、為政者を守る為の安国では無く、あくまで市井の庶民の上に

存在せねばならない安寧静謐(せいひつ)な国の姿であり民衆を戦争に駆り立てる姿では決してありません。

 

既に述べました如く仏典は民衆の苦しみを知らない為政者は三悪道に堕する・・

又別の御書では王は民を親とすべきである・・と説かれております。

この通り、法華経思想の神髄一般庶民の安心・安寧を目指すのが国主の務めであり、この点に意を注ぎ主眼とせねばならない筈です。

 

この為政者の安寧の為では決して無い・・ここを外したら日蓮大聖人が云わんとする重要な次元

(メッセージ)は、まったく見えて来ないと申せます。

戦前の国威高揚に於いて悪用されましたが、日蓮大聖人の本意ではあり得ない主客が転倒した議論である・・とここでは指摘しておきます。

 

中国では習近平氏を絶対の核心的な存在として祭り上げ、氏の云う事が唯一絶対無二の神的な存在であり、これが国家形成の枢要を成す 云々と・・先だっての人民代表大会で、参加者はこれを強要

されております。               

これを民主主義国家からの価値観で見れば、正しく茶番劇でありましょう。

 

民衆を主人として為政者側を客として見る、日蓮大聖人をはじめとする仏法思想、この視点で国家

安寧を捉えなければ、国としての繁栄はあり得ない・・即ち日蓮大聖人は、鎌倉時代に既に現代の

主権在民叫ばれていた のです!!。

鎌倉時代の武士階級から見れば、武士が世の頂上とする思想であり、日蓮大聖人の思想は彼らに

取っては危険極まる思想である・・と捉えられた故に、権力者側から数多の迫害を受ける要因と

なった次第です。

 

鎌倉期に於いてはこの思想は進み過ぎており、政権側の理念では到底理解する事は不可能であた・・でありましょう。                                 

これを中国の政治形態に当てはめて考えると、大変よく分かります。

ネット規制し庶民から情報を遮断し、弾圧を強化する挙に出ております。

しかし中国人民が広く海外に出かけ、民主主義国家とは一体何か? この空気を吸っただけで、如何に自国の政治体制が時代遅れで、邪悪な体制であるか・・この事を嫌でも認識させられるのであり

ましょう。

 

中国では人民軍と云う武力装置によって庶民は思想・心情の弾圧を受けており、人民軍と称しながら

これは正確には共産党守護軍が正しい表現でありましょう。

(国民を守る為の軍隊ではない証拠・・天安門事件が証明しております。)

政治的な基本路線は、庶民は見放され塗炭の苦しみの中に埋没し、仏法精神とは真逆の政治体制が

中国共産党一党支配の真の姿であり理念であります。

 

他の宗教を含め、思想・宗教界は常に苛烈な弾圧を受け続けております。

中国の現状は日蓮大聖人が生きた中世の時代そのものを、我々は現代の世に見ており、世界は民主

国家が大半を占め隆盛を極める中で、数々の矛盾を孕み乍今正に破裂寸前の風船が如き状態を呈しておりましょう。

 

ところで・・立正安国論の中で国と云う漢字が3種類使われております。

 

国・・囲いの中の字が玉は、これは為政者を念頭にした国を表現します。

國・・囲いの中の戈の文字は鉾の意味がありこれは国境線を意味する國です。

民 ・・口構えの囲いの中が民の文字は国民を表します。

    日蓮大聖人の立正安国論は、この文字を厳格に使い分けされており、この民を意味する文字が

   全体の8割を占めます。

 

 

日蓮大聖人が云わんとする安国とはこの口構えの民を表す文字を使った 民(くに) であり、王である国では決してありません。

 


 

  災難が発生する根本要因 

 

前回の冒頭に記述しました国の災難は一体何に起因するのか?

この災難は自然災害の側面と人的災難の両側面が存在しましょう。

人災の最たるものは、自然災害に対し飢餓による災難と、疫病も栄養不足による体力の衰えから来る側面もあり、これは人知な対応で防止できる範疇です。

 

即ち国が安国であれば、為政者は善政を敷き羲農の世となっている筈です。

その羲農の世に於ける国土世間は、互いに助け合う社会が形成されている筈です。

故に自然災害を切っ掛けにした数多の人災側面は、極限まで抑えられる筈です。

この災難の側面に対して日蓮大聖人は下記の通り仰せです。

 

「世皆正に背き 人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り 聖人は所を辞して還りたまわず、

 是を以て魔来たり 鬼神来たり 災起こり 難起こる」

現代訳

世の中は全て正法に背き 人々は皆悪法に帰して(信じて)いる。

故に善神は国を捨てて去ってしまい 聖人は所を去って帰って来ない。

その為に魔や鬼神が国中に満ちて災難が起こるのである。

 

ここで言う善神とは、社会・自然を守る良い働きの事であり、聖人とは社会を正しい道に導く精神的

な指導者の事であります。

魔の作用とは前回も取り上げました通り、人の心や秩序を狂わせ 命や功徳を奪う 肉眼の目には

見えない作用・働きを云います。

鬼神とは人の力を越えた破壊力を持つ働き・現象作用を意味します。

 

ここでは大自然の作用に加えて人間世界の作用によって、その災害の程度が増幅され庶民を襲う姿が描かれております。

この人的な作用の及ぼす処を、日蓮大聖人は経文を引かれて以下の通りに述べらております。

 

「 国土乱れん時は、先ず鬼神乱る 鬼神乱るるが故に万民乱る 」

 

国土・社会全体が自然現象が因で壊滅して行く時は、最初に人智では何ともしがたい破壊力を持つ

大自然の作用がある、その大自然の作用に付随して思想心情・宗教の狂いによる心身の乱れが必ず

存在する。

 

 それ故に、当初は鬼神の乱れは目には見えない部分が存在するが、最終的には国民の大半の思想が

 乱れた事に起因し、世相万般が乱れこの結果として国家的規模で、人災の側面である悲惨な現実の

 姿を眼前に晒す事になる。

日蓮大聖人は思想の乱れとして以下の如く指摘されております。

誤った思想・宗教これこそが民衆不幸の本源的要因であると指摘されております。

 

この立正安国論では、念仏思想に対して破折されております。

念仏思想とは、此岸(この世)を嫌って去って行き、彼岸(あの世)の極楽浄土に往く・・つまりは現世では不幸であっても、それはかまわない。

死んだら必ず浄土で成仏可能であるとする思想です。

 

生きている間での成仏はあり得ないとする厭世主義、即ちこの世が嫌になってもそれは肯定される、一切の諦めに通じる考え方であり生き方となります。

故に自身が危難に有っても、その状態から脱しようとする生命力が湧かない・・飢餓は食料が手に

入らない・・これを庶民連帯の力で克服しよう・・とする意欲とか智慧が湧かない。

 

死ねば楽になり、極楽に行けると云う厭世思想であれば国土は荒廃する理屈です。

これも己の成仏さえ求めれば良く他人の事は思慮の外・・この思想であれば、自らの屍の後始末まで考えが及ばず、結句屍が数多と路傍にころがり、屍で橋を作る程の社会現象が其処に湧現します。

 

法華経の立場はこれとは真逆で、現世こそが成仏する場であり仏法思想の最高峰の教えは、生まれ

乍に本源的に持っている各人の仏性を発揮すれば、現世に於いてこそ成仏する・・と説きます。

 

南無阿弥陀仏と云う念仏の声(響き)は哀音(あいおん)と大聖人は表現され、悲しい響きを持つと指摘されます。

即ち念仏宗に対する布施を止める事が、社会の為に重要であると指摘します。

 

念仏宗は現世成仏の機会を奪ってしまう・・この事は鬼神が乱れると云われる、世の中を掻き乱す

根本要因になっているとの警告を、この立正安国論の中で展開します。

これ故に宗教界の他宗からも日蓮大聖人は迫害を受ける事態へと展開します。

 

ちなみに念仏宗派は、浄土宗・浄土真宗・時宗から成ります。

この現世での苦悩を諦める・・と云う思想は、当時の武士階級に於いて、民衆支配の為におおいに

使われ、悪政には諦めると云う誤った思想に民衆が導かれて行く姿を、日蓮大聖人は鋭く見抜いて

おります。

その宗教界は政治と深く癒着しており、民の方をまったく向いておりません。

 

その意味で中国の民衆は軍の力によって、厭世主義が蔓延しておりましょう。

唯一経済発展で国民を富ませる事が、共産党の存在理由でありましょうが、この経済運営にも

行き詰まっており、彼らには終焉が近い・・と観ずる次第であります。

 


 

  災難の勃発 

 

日蓮大聖人は、このまま思想が乱れた状態の世を放置したなら、次は最終的に今まで起きていな

かった災難が国難として襲って来ると予言されます。

これは仏典に説かれている三災・七難の視点から説かれて行きます。

いままで鎌倉期の日本が受けていない国難は、以下の2点だとの予言をします。

 

それは・・

自界逆難(じかいほんぎゃくなん)・・内乱・国内の動乱

他国侵逼難(たこくしんぴつなん) ・・他国からの侵略を受ける難

乱れを放置した結果、この二つの深刻な国難である戦争状態が襲って来て、更に混乱が極まって行くと予言されました。

この2つの難の指摘は、下記の如く正に的中する事になります。

 

ここで仏典に云う三災・七難について記述します。

この考え方は俱舎論巻12等に説かれております。

 

三災・・大の三災小の三災があります。

大の三災・・・火・水・風の三種の災難

小の三災・・・穀貴災(天災等で五穀が実らず飢餓に遭うこと)

       刀兵災(戦争による災害で兵革災とも言います)

       疾疫災(伝染病・流行病による災害で疾病災とも言います)

 

七難の定義は説かれた経によって少しずつ違いがありますが、ここでは薬師経による説を記述して

おきます。

 

1.人衆疾疫の難・・伝染病・流行り病で多くの死人が発生する難

2.他国侵逼の難・・他国の侵略で征服され 多くの生命が奪われる難

3.自界叛逆の難・・内部分裂による同士討ちの難

4.星宿変怪の難・・天体の運行に異変が生じる、彗星が現れる怪を指す

5.日月薄蝕の難・・日食・月食を云う(当時の人々には理解不能の領域)

6.非時風雨の難・・季節外れの雨とか風が発生する事による難

7.過時不雨の難・・雨期になっても雨が降らない天候異変の難

 

これも隣国中国に於ける自界逆の難を当てはめて見れば・・彼の中国は既に内乱状態にある・・と識者は指摘されております。

100人以上の規模を上回る騒動は、既に年間30万件以上発生しており、これを国家保安組織と軍が

抑え込んでいる状態です。(一説には50万件以上とも云われます)

世情が荒れ果て、全民衆の蜂起が近い・・と予測されますが果たして?

 

経済的にも行き詰まり、過剰投資で数多のゴーストタウンを建設し、無駄な国富が失われた。

日本の新幹線をパクった中国版新幹線網の建設も、需要がない場所まで乱暴に2万km以上も建設した結果、これを管轄する鉄道局の収支決算は概ね70兆円の負債に及び、返済の見込みはまったく無いと

云われます。

 

ご承知の通り、鉄鋼生産設備の保有規模は年間12億トンと云われ、現在稼働中の設備は約8憶トンと云われます。

中国の内需としての需要規模は約5〜6億トン程度が適正と云われ、余剰生産分は海外に流れ世界各国の鉄鋼需要を大きく掻き乱し、大問題になっております。

我が国も多大な迷惑を被っております。(国内の年産規模は約3億トン)

 

この余剰鉄鋼設備はその大半を、国営企業が運営し経営的には大赤字状態に陥っており、それを全て清算(倒産処理)すればそこに働く民衆の概ね160万人とも180万人とも云われるリストラを強行する必要があると云われます。

(彼の国には倒産と云う概念がそもそも無いそうです)

この民の首を切れば、確実に暴動が起こりましょう。

 

ちなみに全世界の必要鉄鋼生産規模は年約16億トンと云われ、世界の半分を中国一国で生産している事になります。

これは自由主義諸国圏ではまったくあり得ない光景でありましょう。

有り余る鉄鋼をAIIBなる融資組織を使って、他国に有償援助のふりをしてその実は、経済的に他国の

支配を目論んでおり、小生には自滅への道をまっしぐらに暴走しているとしか見えません。

 

この現象は、小生が関係した業界でもまったく同じであり、例えば半導体分野・液晶などの

ディスプレイ表示分野でも、気が遠くなる程の兆円単位の爆投資が予定されており、太陽光パネル

の騒動と同じく、需要の有無に関係なく同様に突き当りまで行く傾向があります。

 

恐ろしい事に我が国の技術者を高給で漁りに来ております。

技術流出は元より亡国に手を貸す事になるのは必定です。

日本人は もういい加減 目を覚ます必要があり、その見返りはミサイルで我が国を狙う事です。

ともかく・・彼らは血の滲むような努力と開発投資の概念がまったくありません。

智慧はお金で又は非合法的でパクって、物を作ってお金を荒稼ぐ・・その概念しか頭に無い。

 

需要と供給の関係をまったく無視した政治・経済運営は、とうとう行き詰まり中国全体の負債総額は3300兆円を超えているのでは・・との疑いの眼で世界中から見られております。

麻生財務相が国会答弁した通り、この国は崩壊する事は分かっている・・しかし如何なる形で崩壊するかが問題である・・こんな会話が国会審議の場で交わされる事態に至っております。

 

そしてその極め付けは・・他国侵逼の難

この自国の国難を外に眼を逸らす目的で、尖閣列島を奪う作戦が既に立てられその機会を虎視眈々と狙っている・・との報道があります。

これを実施すれば、正しく彼の国は他国からの侵略を自らも招く事になりましょうし、そのギリギリの時空間を中国政権はさ迷っております。

 

日本は彼らの策略に、まんまと乗せられてはなりません!

 

人衆疾疫の難では鳥インフルエンザ騒動・サーズ騒動があります。

いずれも政治体制の不備から民衆が被害を受けております。

非時風雨の難・過時不雨の難では、山河の疲弊を因として彼の国には飲む水のみならず食料生産用の水確保が思うようにならない・・土壌まで重金属で汚染人心の乱れの極地に到達しており、正しく

鬼神乱れるの湧現した有様です。

(自分の目で民衆の悲惨さを目撃しました・・田舎では日本の中世の姿に似る)

 

以上の通り、日蓮大聖人がこの立正安国論を述作された鎌倉当時と、現在の中国の国体は極めてよく酷似していると云う事です。

何れせよ彼の国の政治体制は、只今崩壊の危機を迎えている事は衆目の一致する処でありましょう。

 


 

 日蓮大聖人の予言と平和への胎動 

 

そしてこの諫言の書を提出したその12年後、文永9年2月に2月騒動とも云われる内乱で、大聖人が

予言された自界逆難が勃発します。

それも身内同士の政権奪取闘争で、この年に当時の執権であった北条時宗に対し、兄である北条時輔が反逆を起こし政権を奪います。

 

更に立正安国論の提示から14年後の文永11年10月に文永の役と呼ばれる蒙古襲来が勃発し、更に

21年後の弘安4年に弘安のとして2回目の蒙古襲来を受けます。

何れも大聖人が予言された通り他国侵逼難の警告が的中します。

蒙古襲来では九州の奥深くまで侵略の手が及び、結局市井に生きる民衆が一番被害を受ける事になります。

 

日蓮大聖人は仏典に示された人間の本質に学び、このまま世相を放置すれば餓死等の惨状よりもっと酷い国難が発生すると、時の執権に対し諌暁の書である立正安国論を提出し警告した分けですが、

残念ながらこれが用いられる事なく打ち捨てられた故に、とうとう外国からの侵略を招く事態となります。

 

国主の政治基盤でもあり民衆の生活の基盤である、この国土そのものを失うと云う程の危難である

戦争と云う現実が襲って来た分けです。

翻って深く考えます事は現代に於ける各種戦争兵器は、その殺戮規模は目を被う程でありましょう。

 

一度戦争が勃発すれば、正しく取り返しが付かない程の犠牲とインフラ破壊に繋がり、過去営々として築き上げて来た全ての富が全て吹っ飛んでしまします。

その事を我が国は第二次世界大戦で学んだ筈です。

正に戦争による甚大な被害が及ぶ現代こそ、日蓮大聖人が警告を発したこの立正安国の精神に

学ぶべきでありましょう。

 

為政者は正しくこの庶民の目線を片時も忘れてはならず、中国の一党独裁とは申せ共産党体制崩壊への庶民の怒りには敏感です。

結句平和主義を如何にして訴求するか・・全てここに懸かっておりましょう。

我が国も相手の喉首に刺さった棘を如何にして取り除くか智慧の出しどころです。

 

日蓮大聖人はこの諌暁の書で、以下の如く平和への宣言をなさっております。

 

「汝須らく 一心の安堵を思わば 先ず四表の静謐(せいひつ)を 祈らん者か 」

 

自分の安心安全を望むのであれば、まず周囲の平和を如何にして実現して行くか・・この事を思考

し実現する為の智慧を絞るべきである。

平和は自分一人だけの事を願っても実現しないと説いております。

言い換えれば我が国1国だけの平和を云々しても、それは夢想にすぎない・・と指摘されております。

 

ましてや鎌倉時代にあっては、為政者の安心・安全を願うのであれば、四表の静謐 即ち周囲の安定を図る為には、それを構成する土台である処の、庶民の人権・暮らしを守る・・このような政治が

重要であると諫言された分けです。

自国の静謐が得られない処で、他国との静謐(平和・安定)も無いとの指摘です。

 

幸いにして・・我が国は他国よりもその平和に対する認知度は高く、これを広げ行く能力には長て

おり、その人材も豊富に存在します。

故に我が日本人は、更なる平和への貢献が出来ると信じている次第です。

如何でありましょうか・・鎌倉時代の諫言の書ですが、これはもう完璧に現在の為政者に対しても まったく同じ事が申せます。

 


 

  宗教の役割 

 

この立正安国論は何を問うているのか?

これは人間の境涯の改革を通して、現実社会の改善に資する事を目指している。

これが日蓮仏法の目指す処であり、役割であります。

我が己心の境涯を改善する事人間革命と称します。

 

従って法華経に帰依し、己の境涯を磨く事で現実社会の依法をも改善していく・・

これが人類繁栄に対して最も貢献する道であると信じます。

即ちまず自らが変革しなければ、相手は決して変わらないと云う普遍原理です。

 

これは国家間であってもその理屈はまったく同じです。

故にまずこの日本と云う国が世界の手本である・・と得言える静謐な社会を実現すべきであり、

それはとりも直さず自分自身の境涯を高める・・これ以外に方法は無い!!と申せます。

 

故にその境涯革命を起こす手段として人生を豊かにする手段としての宗教の役割がそこに存在します。

正しくこの法華経とは何ぞや?・・と問われた時に、これは 現実を変革する力 を持った

 宗教哲学 であると主張出来る次第です。

世に宗教と云われる教えは沢山ありますが、以下の如くに分類する事が可能です。

 

1)現実追随の宗教・・現実に埋没する宗教で、例えば為政者を養護する為に祈祷中心の・天台・

           真言等の仏教

2)現実拒否の宗教・・己の悟りの境涯のみを追求し出家主義の宗教・鎌倉期の禅宗が該当

3)現実逃避の宗教・・厭世的な宗教であり、あの世に脱げる念仏宗に相当

4)現実改革の宗教・・幸福境涯に向けて人間自身の変革を目指す

           自分の人生を変え・周囲をも幸福に変え行く逃げない仏法で、これは釈尊の

           究極の教えでもある法華経です。

           別しては日蓮大聖人がその生身で読まれた法華経実践から来た全ての法理

          (日蓮仏法)です。

 

世間では俗に人を救う行為云々と申します。

人が人を本当に救えるのか?・・これは自分自身が仏の境涯をわが身に帯した時にのみ初めて人を

救える・・と申せ、故にこれは簡単な事ではありません。

同じく国家が国家を救えるか? これもまったく同じ理屈であり・・上記が如く自国が静謐であると云う条件下始めて他国に手を差し伸べる事が可能となります。

 

己の精神的境涯が低ければ静謐になれる分けも無く、絶対に相手を救う事は不可能である・・の理屈です。

この静謐とは個人の次元では人が生きる上に於いて境涯が高い・・と云う事でもありましょう。

たとえ経済苦を抱えた状態であっても、精神的境涯を高める事は可能です。

分かり易く申せば、経済力はその人物が生きて来た結果であり、後付けで種々説明される内容でしか

ありません。

 

即ち何の目的で何に対して 如何に生きるか? 生き切るか? 生きられたか?

この次元を常に我が胸に(精神)に問う、生きている時間内で自分に連続して問い続ける人としての営みになります。

故に如何に生きるかこの次元を追及すれば、必然的に哲学的な境地を開拓する(開く)必要が出て

参ります。

 

そしてその境地・境涯を高める手段として、先哲の智慧である法華経に範を学ぶ事

(日蓮仏法を身に纏う)を小生はお勧めしている次第です。

 

小生の体験は、この経典を胸に実生活上で必要な修行を施せば(仏界へと我が身を開発する手段を

得る)、ただ凡夫のままに現世で成仏できる・・正確には成仏したと悟れる瞬間が必ず訪れる

(例えば己に納得が行く精神状態もその一つ)

故は天下万人、生まれながらに仏性を持ってこの世に出現しているから・・

 

これを開拓するか否かは天下万民自由です・・が

その仏界を開拓する手段の1つが、法華経の最高峰の哲学を学び、お題目と呼ばれる我が己心

南無経法蓮華経を唱え、これを信じる事だけです。

即ちお題目を唱える事は、自分自身と向き合う時間であります。(自行と申します)

そして境涯革命が進み、人を救っていく菩薩の境涯へと発展して行きます。

 

これを実践する中で、真に人生を営む上での深みを味わう事となります。

ここにも記述しました通り、仏法と申しましても他宗の教えがありますが、この劣悪な宗教による

悪影響も当然御座います。

 

釈尊が始祖の仏法であるにも関わらず、現代に於いては教えが変形して釈尊の仏法哲学から遊離し

形骸化した状態は、過去にも記述して参りましたが、日蓮大聖人も種々この弊害について重要な指摘を沢山されており、この辺りはまた別途の機会が有れば記述を試みる心算です。

 


 

 日本の文化力 

 

ともかく世の中の乱れの根本要因は、思想が乱れた結果であると諌暁の書である立正安国論で指摘

されております。

ある海外識者は、日本人は自分が努力しても打開できない程の困難に直面した場合、すぐに諦めの

境地に立つ人々が実に多い。

これは古くからDNA次元で生命に諦めの命が刷り込まれており、これが日本人の特質である・・

と指摘します。

 

しかし逆に、深い団結力と我慢力の側面を見逃がしでおります。

古来より日本は資源に乏しく、地震災害・台風災害・火山活動災害など大自然から受ける各種・災難のてんこ盛り国家であります。

自然の猛威には団結し、無いものは相互に融通しあい・助け合い・資源が無い故に人智の限りを尽くし生きる為の工夫をする事で、国家体制としての基板を築いて参りました。

 

災害が多く・資源に乏しく貧しい・逃げようにも周囲を海に囲われ、逃げ場も存在しない・・だからこそ、大自然の荒ぶる猛威の前で苦境に陥った時でも整然とした社会秩序が保たれる・・

我慢強い・・これは諸外国には真似ができない倫理規範を実現した国であります。

 

ある意味で日本文化の奥襞(ひだ)の底まで、この精神が深く浸透している社会であると理解出来

ます。(既に江戸時代にその萌芽を見ます)

 

思想が幼稚な鎌倉期とは違い、民主国家として戦後再生を果たした我が国は世界にその範を示せる

民族集団になった事は事実です。

しかしここから先は、世界に対して人々を先導して行く役割を担うのを、我が民族の主眼とすべきでありましょう。

それには民衆の一人・一人が更なる次元で人間力を磨かなければ、世界には通用しない事は自明の理です。

 

その意味では中国との尖閣問題も為政者は、ただ単に中国を取り巻く政治的な包囲網を形成する事を模索するだけでなく、真正面から彼らと向き合い、人間としての条理を尽くし深い次元から共存共栄の道を模索し、無駄な争いを避ける智慧を、お互いに出さねばならない時節が到来している事は間違いありません。

 

国家と云う概念を越え、もっと賢く地球平和への道を模索しなければ、人類の行く末はその究極に

於いて滅びへの道を歩んで行く事になりましょう。

分かり易い言葉で申せば、国境と云う概念で縛られた国益のみを追求すると云う政治思想だけでは、この狭い地球上に暮らす人類は、救えない時代にさしかかっていると理解すべきものでありましょう。

 

しかし言うは易し・・行いは難し・・思想・文化の違いを超えて連帯する事は現代人類のおおきな

課題でありましょう。

 

しかし狂った相手を説得するのは為政者ならずとも、相当な覚悟を以て彼と対峙する他に手段がないと思えます。

所謂丸腰状態で相手との対話に臨むのは、甚だ残念の極みながら現段階の人智に於いて説得力が無いと考えるのが自然でありましょう。

狂人相手にその条理を解くのは、死人に対して説法をするに等しいでしょう。

 

鎌倉時代の理念に近い一党独裁政権を合法的に倒せるのは、国を形成する民衆の手に依る以外に手段は無いと見えます。

為政者を相手にするのみでは無く民衆の智慧に頼るべきであろうとも考えます。

 

我が国の大衆社会が安定富めるこの現実の姿を、もっともっと広く中国の一般大衆に見せる事が、為政者の暴発を防ぐ有効な手段になって行く事を願って止まず、所謂平和への連帯の手を民衆同士で図る事です。

その効果がじわじわと表れて来ている・・との実感を持ちます。

しかし、我が民族も富める現状に胡坐をかけば、一瞬にして亡国となりましょう。

 


 

  日蓮仏法を世界に広げ行くSGI活動 

 

これは、即ち地球規模での立正安国の理念に基ずき、平和を目指して活動しております。

・・この点を是非正しくご理解下さい。

 

既に人間精神の何たるか・・に目覚めた菩薩の修行を現世で行う人間集団が、世界中で数百万人規模に拡大し、世界192ヶ国地域に広がっております。

遠く南米ブラジル・北米・南北アフリカ各国の地・極寒の地ロシア・太平洋諸国・ノルウェー・

ヨーロッパまで・・日が沈む事が無い・・この地球の全域で、お題目が唱えられる時代になって

おります。

 

人間としてその知力で、災害と数多の障害を取り除くべく、闇を切り開いて行く努力が菩薩行に励む人々の連帯の手で、日夜労作業が続いております。

但し隣国中国のみは宗教弾圧があり正式には広がりを見せておりません。

しかしこの理念を正しく認識している、大学関係者を中心とする知識集団が中国各地に数多く存在し、研究機関も合法的に設立され、日本との交流も盛んに行っております。

 

政府関係者との強いコネクションも持っておりますが、彼らの信奉する理念の差異を越えて、理解を深める努力が営々と続いております。

 

この日蓮大聖人が顕されました国宝である立正安国論は、ひじょうに長い文章であり、これを簡単に要点のみを入門編として記述してみました。

ともかく日蓮大聖人は死期を迎える中に在って、尚かつ弟子にこの立正安国論を解き聞かせた・・

正しく立正安国に始まって立正安国に死して逝った聖人です。

 

この記述の基になった資料類は、関連諸先輩が顕された情報に基づきますが、これに小生が近現在の社会情勢を勘案し独自の見解と、小生が理解する内容を加えて作成したものであり、文責は全て小生に有る事を、予めお断りしておきます。 

 

最後に・・戦争は人間の思想が乱れた結果起こる・・と 

 

皆様のご参考になれば、大変幸甚です。  爺拝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古典に学ぶー供,修裡 立正安国論ー前編

  • 2017.03.24 Friday
  • 11:55

  

  春の淡雪 自宅近くの山

 

 

       爺の喫茶室へようこそお越し下さいました。

 

    古典に学ぶー兇竜述テーマ

 

    今まで法華経の入門編を種々記述して参りましたが、ここからは嗜好を変えて

    大先哲である日蓮大聖人が書き残された歴史的な大著である「 立正安国論 」を

    基にして先哲からの警告を、現代流に縷々考察してみたいと存じます。

    今回と次回はその入門的な解説となります。

 



 

少し難解な表現が登場しますが、その都度これも現代の法華経教学指導者である関係諸氏の言葉を

引用させて頂きながら現代の闇と絡めて、我が人生を如何に生きるべきか?と云う視点からこれを

考察してみたいと考えます。

我流に陥らないように心掛けて、先哲の智慧に学ぶ事を主眼とします。

ここに記述しました版元は下記の通りです。

 

日蓮大聖人御書全集

編者:日蓮正宗五十九世法主 堀 日享 昭和二十七年四月 発行本より引用。

この「立正安国論」の原本は、現在国宝に指定されております。

所蔵場所:関連の各寺院に写本が残っておりますが、国宝の原本は 法華経寺所蔵

現存する原本:第24紙が紛失しており、これを後世代の慶長6年(1601年)に日通が補写し挿入しております。

更に正保3年(1646年)に法華経の信者である本阿弥光甫が補修している事が分かっております。

 

     

原本の述作年代は鎌倉時代応分元年(西暦1260年)7月で、大聖人が39歳の時です。

 


 

立正安国論を述作した背景

 

日蓮大聖人が顕されたこの御書は、鎌倉時代の当時の国家権力者である北条時頼に対して国家諌暁(諫めさとす)の書として述作されたものです。

この国家諌暁の書は別して申せば、現代に生きる我々庶民に対して、その生きる為の哲学を示唆

された述作である・・と理解して差支えないと考えます。

 

以下詳細を記述しますが、この当時の時代は天変地夭が激しくこの年号はたった1年で弘長年へと

改元されます。

しかし改元しても更に天変地夭が続いたと歴史書にあります。

 

既にこのブログでも述べました通り、アメリカの闇世界に起因する深刻な政治的弊害と、アメリカ

社会を形成する社会環境の劣化、更には現代中国社会で今日起きている、市井に生きる庶民の悲惨

極まる生活惨状と社会混乱が、今から757年前の鎌倉時代の政治世相と不思議な程に酷似しており

ます

 


 

立正安国の意味

 

それではこの述作の題号に秘められた意味から始めて行きましょう。

文面の形の上からは、その当時の国主である執権の北条時頼を諫言するという形を取っておりますが、鎌倉時代の当時の市井に生きる悲惨な民衆を何とか救いたい・・

日々の惨状に立ちつくし、生きる術を見失った庶民の生き様を見られた大聖人は、これを何とか

したい・・この一念から、自らの筆で国家権力に立ち向かう内容になっております。

 

この当時の市井に暮らす一般民衆の惨状を表現するところから記述が始まります・・

 

 旅客来たりて嘆いて曰く 近年より近日に至るまで天変地夭(てんぺんちよう)・飢饉疫癘

(ききんえきれい)・あまねく天下に満ち 広く地上にはびこる 牛馬巷に斃れ(たおれ)骸骨

路(みち)に充てり 死を招くの輩(ともがら)既に大半に越え 悲まざるの族(やから)敢えて

一人も無し、

中略

四角四堺の祭祀を企て 若しくわ万民百姓を哀れんで 国主・国宰の徳政を行う、然りと雖も唯肝胆

をくだくのみにて 称飢(いよいよ)疫にせめられ乞客(こっきゃく)目に溢れ 死人目に満てり、

臥(ふ)せる屍(しかばね)を観(ものみ)と為し 並べる屍を橋となす・・云々」

 

との悲惨な表現から始まっております。

四角四堺の祭祀を企て・・と記述がありますが、国主であるならば此のような惨状を見て当時の

宗教堺では加持祈祷が行われたのでありましょう。

そして一国の宰相として徳政を行う(敷く)筈である・・と記述されます。

 

大聖人がこの国家諌暁の書を顕される直接のきっかけは、正嘉元年(1257年)に発生した正嘉の

大地震・次の年の1258年8月と1259年の2年連続の大洪水を因とする大飢饉・大疫病発生・・さらに

は1260年の暴風雨と大洪水と続く大災難が続いた結果、市井に暮らす庶民の屍の山を築く事になった

事です。

故に応分元年は僅か1年で元号が改名されます。

 

この悲惨極まる庶民の生きる姿は、吾妻鏡という鎌倉時代に記述された歴史書に詳しい内容が残っております。

この年代は異常気象・巨大地震が頻発し生きる手段が断たれた時代でありました。

この惨状に対して国主たる北条時頼は政治権力闘争に明け暮れ、更に当時の宗教界では政治と宗教が

癒着し、寺の建立にしか関心が行かず民衆を救うと云う宗教としての本来の使命を全く放棄した時代

でありました。

(この時代に鎌倉地方に寺々が沢山建立された・・日本での多造塔寺堅固の時代)

 

国家としての行く末をまったく考えず、政治を司る者は政争に明け暮れて、一般庶民の惨状には

まったく目を配る事が無かった。

その様子は次回以降に扱う予定です。

 


 

ここで現代の中国に目を移してみましょう。

 

庶民は中国共産党の悪政に翻弄され、明日を生きる生活の術がまったく保障されない劣悪な環境下で

必死に生きております。

否庶民の生活を根底から破壊する方向に、繰り返し悪影響を及ぼしているのが一党独裁政権である

共産党政権の一握りの政治屋もどきです。

 

特に都市戸籍を持たない農民工と云われる約3億の民は悲惨の極みの中で生活を余儀なくされている

姿を、報道映像で数多く目にします。

そして生きる生活上のインフラ整備は劣悪で、空気・水・土壌・のみならず国土の依法は崩壊し、

人間としての最低のマナーである倫理面まで共産党によって完全に破壊され、生きる為には金次第の

拝金主義で汚職が広くまん延し、生活空間は年々劣化し悪の連鎖反応の輪にどっぷり浸かり、病弊は

進むばかりです。

 

その不満のはけ口を隣国の歴史批判宣伝に振り向け、近隣諸国にまで甚大な悪影響を与え、近年の

軍備拡張は中国の歴史始まって以来の激しい伸びを見せております。

(軍拡への固執は、アヘン戦争以来の恨みにその根源があると報道されております)

その上更に国家としての経済運営に行き詰まり、国家破綻の危険信号まで見えて来た今日この頃

です。

加えて共産党指導部内部では、庶民の苦しみを他所に激しい政治権力抗争に終始しております。

 

鎌倉時代にあっても現代にあっても、為政者が為政者たる職務を放棄した結果、その国家が被る損害

は、常に市井に暮らす庶民の上に全て降りかかって参ります。

このロジックは人類普遍の法則でありましょう。

 

この国家的な国土と民衆の生活崩壊という災難に対し、日蓮大聖人は庶民の惨状を見かねて、筆の

力で立ち上がった次第です。

現代では民主主義と云う手法で、国家運営の頭は換える方法が存在しますが、中国ではその手段さえ

市井に暮らす庶民には存在しません。

この国家諌暁の書を当時の最高権力者に対して提出した事で、日蓮大聖人は終生繰り返し政権者側

から命を狙われる事になります。

 

現代中国でもノーベル償受賞者にあっても国家から反逆の罪に問われる・・

現代にあっても、中世時代以下の倫理で運営される生活空間では、市井に生きる者は塗炭の苦しみに

喘いでおります。

否を唱える者に対して、この共産党政権は暴力に訴えて、力で抑え込む・・

 

この主体が共産党を守る為の人民軍であり、近隣諸国にまでこの劣悪なルールを強制適合しようと

して蠢いております。

鎌倉期では武士の武力で市井の人々はその生活不満を鎮圧されたのですが、ここでもロジックは

まったく同じです。

中国の国体は鎌倉期とまったく相似であると指摘可能でしょう。

 

これが現実の21世紀を生きる地球環境であります。

このような劣悪な環境時代を仏法では、末法の世・・と定義しております。

今の中国には宗教も神の存在も無く、生きる人間としての最低限の正しい倫理観すら存在ぜす、従っ

人権尊重と云う次元が平気で蹂躙されます

有るのは権力欲と拝金主義と人を蹴落とす騙しのテクニックの存在のみ・・。

これが権力者の実態でありましょう。

 

心ある中国の庶民は心を痛めております。

しかし権力者が発する行為は、市井に暮らす庶民にとって圧倒的なパワーで影響を受けます。

その結果、中国人が海外旅行で起こす数々のルール無視によるトラブルで、彼らが自国で被っている

被害の程度が透けて見える次第です。

我が国であっても、時代を超えてこの基本的な普遍原則はまったく同じでありましょう。

 


 

守護国家論から抜粋

 

日蓮大聖人は、守護国家論という御書を別に述作されており、この中で以下の如く指摘されており

ます。

 

 先略・・爪上の生を捨てて十方微塵・三悪の身を受けんこと疑い無き者なり、然るに生を捨てて

  悪趣に堕つるの縁、一に非ず  中略 或いは殺生悪逆の重業に依り、或いは国主となって民衆

  の嘆きを知らざるに依り 或いは法の正邪を知らざるより、或いは悪師を信じるに依る。

  此の中に於いても世間の善悪は眼前にあり愚人も之を弁えるべし 云々

 

現代流に訳しますと・・

例えば爪の上のような儚い貴重な生命を捨てて、十方の微塵なる処に三悪道と云う身の上の境涯と

して生まれてくる事は間違いない。

 

この生命を捨てて三悪道と呼ばれる悪趣に落ちるその縁は一つではない。

例えば生きる者を殺し数々の極悪非道を行った宿業であったり、又は国主として生まれて来ても、

民衆の嘆きを知らないと云う因を積んだり、又は正邪の法を正しく理解しなかったり、又は人として

信じてはいけない悪人を師匠として仰ぎ、これを信じる事によって三悪道に落ちる。

この世の善悪はたとえ悪人であっても此の事を弁えるべきだ。 ・・と

 

この三悪道又は三悪趣とは一体何でしょうか?

三悪道とは既に解説しました通り、地獄・餓鬼・畜生の生命境涯に堕する人としての最低・最悪の

精神境涯を持つ人物の姿(生きる姿)の事です。

この三悪趣は過去に掲げた小生のブログで十界論を参照して下さい。

正しく中国の指導者は、この三悪道に落ちた姿世界中の為政者と向き合っている姿を眼前に

致します。

 

弱い者(国)には牙を剥きこれを脅し、強い者にはへ〜こら・・おべっかを使い、しかし国際社会に
対して自国の空理空論を世界中に振りまき、大恥をかいている事すら自覚出来ておりません。

曰く国際ルールは中国が主導して作る・・云々と嘯いております。

そして弱い自国民を奴隷が如く働かせ、悪銭を吸い上げ その銭にて隣国を脅す手段としての軍備

拡張の挙に出ております。

 

ここで重要な事は・・

例えは為政者として民衆の上に立つ存在になったとしましょう。

大聖人は民衆の嘆きを知らない・・さような為政者であったなら 三悪道に堕すると表現されており

ます。

 

この民衆の嘆きを知るとは・・仏法では民衆の苦しみを共有できる生命境涯を指します。

この事を仏法では同苦出来る精神境涯だと表現し、大変に重要な概念であります。

為政者こそが民衆と同じ目線に立ち、庶民の苦しみを正しく理解する事が肝要であり、ましてや市井

に生きる我ら一般市民であっても、この同苦出来る人としての生命境涯が非常に重要となります。

仏法で言う処の人間道としての基本的要件根本精神を仏法思想では追及します。

 

為政者が市井の庶民を救済するには、この根本的な同苦の境涯が無ければ世を統べる事は不可能で

ある事は論を待ちません。

これが欠けた政治組織・集団はそれ自体が崩壊霧散する運命にあり、古今東西この論理は変わる事は

絶対ありません。

 

現代中国の共産党の価値観では、同苦するという概念はまったく存在しません。

それでいて、民衆の蜂起を恐れてただオロオロするばかりです。

己さえ儲ければ・・己が出世さえすれば・・他人の事はまったく眼中に存在しない・・

 

この価値観が国中にまん延し儲けた金を海外に脱出させ、加えて自分の家族を国外に逃がし、国を

捨て去る・・さような為政者クラスの人物が多くを占めます。

その国外に逃がした国富は1兆元に及ぶ?とか・・何ともあきれ果てた国柄であります。

 

その結果国家としての山河は荒れ果て、人が住めない環境に成り下がっており、更にこれを国家と

して改修して自然を取り戻す・・という概念すら希薄となっている。

アメリカでも似たような価値観で成り立ち、極一部の成金が市井に生きる庶民を睥睨し、社会が分断

されております。

(シェールオイルの掘削で激しい環境破壊が進行中とか・・儲ける為には手段を選ばない事は同じ)

 

昨今は数多の中産階級が没落の途を辿り、この反作用としてトランプ新大統領が誕生する経緯を

辿ります。

何れにせよ・・大変生き辛い・安心して生活出来ないコミユティー空間を形成しており、これが

アメリカ社会の病弊の実態でありましょう。

 


 

立正安国の立正とは何か・・

 

「この意は正しい法を立てる」と云う意味です。

日蓮大聖人はこの立正安国論の最後の結論の段の表現で、広く法華経を信じこれが広く世界にまん延する時、世は平和となり羲農の世が訪れるなどの記述があり、以下の如くの記述があります。

 

まず当時の鎌倉時代の世相を嘆いて以下の如く申されております。

 

「広く衆経を披きたる(ひらきたる)に 専ら謗法を重んず、悲しいかな皆正法の門を出でて深く

 邪法の獄に入る、愚かなるかな 各(おのおの)悪教の綱に懸かって とこしなえに謗教の網に

 纏わる、此の朦霧(もうむ)のさ迷い 彼の盛焔(じょうえん)の底に沈む 豈愁えざらんや 

 豈苦しまさらんや、 云々」

 

現代風に直せば・・

市井に生きる人々の宗教を調べたら、法華経以外の謗法が重んじられている、悲しい事に正法である

法華経の門の外で 深く邪法の地獄に落ちている、

愚かな事だ 各悪法の網に引っ掛かって永久に邪教の網に捕らわれ 邪教の見えない霧の中で

さ迷っており この苦しみの底に沈み これを私は憂いている この事に苦しんでいる 云々

 

大聖人は誤った宗教が蔓延し、民衆が苦しむ姿を見て嘆いております。

これは現代日本・いや世界中が正しく生きる為の哲学を持たないと云う次元では、まったく同じ事が申せましょう。

 

そして更に以下の如くへと続きます。

 

「汝 早く信仰の寸心を改めて 速やかに実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国土なり 

 仏国土其れ衰えんや 十方は悉く宝土なり 宝土何ぞ壊れんや 国に衰微無くんば身は是安全・

 心は是れ禅定ならん、この詞(ことば)此の言(ことば)信ず可く崇(あが)む可し  云々」

 

・・との記述があります。

 

信仰の寸心を改めて・・悪法を信じる心を改めると云う意味です。

実乗の一善に帰せよ・・実乗とは真実の大乗経である法華経を指します

           一善に帰すとは、この最高の善を信受せよと云う意味です。

 

ここでは、中途半端な教えである法華経以外の教えを捨て、真実最高の教えである処の大乗経である

法華経を信受しなさい・・と説きます。

(これが仏法の元祖・釈尊の本意でもあります)

 

立正とは、正しい究極の法理である法華経を人々が信じる事が、即ち立正の基本概念となります

 

人々が法華経を信じこれを実践すれば、三界は皆仏国土となる。

仏国土とは平和で安心して暮らせる国となる、然らばさような国に衰える筈は無く 豊かな国土で

崩れる事もなく衰退する事無く、我が身は安全・安心して この心は安らぎの世界を得るであろう。

この詞・言を信じるべきであり 崇めるべきである・・云々と仰せであります。

 

更に深くこの立正を考えてみましょう。

国中に立正を保つとは・・

法華経を根本にして人生万般を生きて行く・・その姿そのもの、即ち正しい法を立てる事・・

この事のみならず、仏法では万民一人も欠けず生まれながら仏性を持って出現すると説かれます。

 

この仏性とは、仏と云う存在になれる可能性の事を指します。

ここではあくまで可能性であって、仏性をわが身に開く必要があります

故にこれを開く為には、人間として仏性を獲得できるように我が境涯を高めて、はじめて自分自身の

仏界が開け 仏界へと到達出来ます。

 

この仏界を開く為には、社会全体として人間の尊厳生命尊厳の思想が、基本原則として広く行き

渡り定着する事が大変重要となり、仏国土建設に至るにはこの基本概念から避けて通る事が出来

ません。

願わくば社会を構成する全員がこの仏国土建設に協力して頂く事が、理想でありますが当然これには

思想信条の自由があります。

 

そんな中で社会全体として、この仏国土を建設する・・即ち立正出来るよう社会の構成員の一部と

して、我々庶民が仏国土建設に向けて努力する姿・・その活動する・実践する姿そのものが立正

(正しい法を立てる)の実態であります。

 

法華経を信奉し社会にこれを広げ、困った人々に同苦し寄り添い互いに人とし切磋琢磨し成長を

目指して行く行為の万般・・そのものが立正の正しい意味でありましょう。

正しく仏国土の建設に向けた具体的な行動社会の立正・と云う事だと考えます。

 

人間の尊厳・生命の尊厳と云う人類普遍の価値観に真っ向からこれに反対する宗教とか政治団体が

悲しいかな・・この地球上には存在します。

これらの真逆な人々に対しても、辛抱強く人間が本来持っている仏性を開いて行けるように仕向け

る・・これが真の社会の立正活動でありましょう。

 

従って特定の思想信条に拘り・凝り固まり相手の生命の尊厳をも忘れた排外的な活動の万般は、

これは立正と云う活動の概念から外れましょう

人人には思想心情の選択の自由が厳然と存在します。

この大乗仏法思想を信じるも信じないも・・これまた自由であります。

 

しかし乍、生まれながらに持った我が己心の仏性を開き、これに目覚め・より充実した人生へと誘う

数多の人々の集団が、全世界的規模で既に活躍しております。

 

遠くは南アフリカから極寒の地のノルウエーの地まで・・世界192か国地域まで、この立正と云う

建設作業に参加しており、我が人生(生命)を大切にし、且つ他の人々の苦悩に同苦し寄り添い・

互いに手を携え合い 生きて行けるよう、共存・共栄に向けた各種活動を成しております。

その規模は既に数百万人単位の規模に及びます。(SGI組織)

 

 安国については、長くなりますので次回以降に記述させて頂きます。

 前編と後編を合わせてお読み頂ければ幸甚です。

 記述内容に誤りが有れば ご指摘を賜りたく宜しくお願い致します。

 

 爺拝 2017年3月吉日 

 

 

 

 

 

 

 

古典に学ぶー その2

  • 2017.02.16 Thursday
  • 16:57

 

            

                                                      近所の森

             爺の喫茶室へようこそお越し下さいました。   

                                                 

        時の流れは速いもので・・季節は早や2月の声を聴きますが、

        小生が住んでいる関西地方では最近降雪が多く、厳しい寒さが続いております。

        皆様のお住まいの地方では如何でありましょうか。

        写真機片手に近所を散歩がてら、雪景色を撮影しております。

        今月もその中から、自宅地近くで撮影しました写真を掲載させて頂きました。

 

さて今月も古典に学ぶーとして魔の蠢動を、昨今の世相と絡めて記述させて頂きますので、最後

までお付き合い下さい。

 



 

プロパガンダの恐ろしさ

 

昨今の世相を眺めておりますと、この想いを深く致します。

その分けは、一般的な新聞TV報道では絶対に表面に出てこない真実を、ネット情報で知る事が可能になったからです。

如何に新聞報道が意図して選択した情報のみを、さも世相の主流であるがの如くのように真実を

ねじ曲げて報道している事に気が付きます。

 

公共報道機関の報道姿勢は一体何??・・と問うてみたくなります。

所謂インテリ層が情報を一方的に支配しているとの印象を持つのは小生だけでしょうか?

しかも時の為政者に擦り寄り的な、プロパガンダとして報道する姿勢を強烈に感じ、その分真実が

歪められて報道されている・・と感じる次第です。

 

いわゆる従軍慰安婦報道も朝日新聞によって、思想操作された虚偽報道により、我が国は国際的に

信用を失墜するという事態に陥りました。

また昨今ではアパホテルの南京虐殺事件に絡む中国の蠢動問題があります。

中国による歴史捏造によって、歪んだ史実として国連機関に於いて正式に認定されるという悲しい

邪悪な事実が存在します。

 

国連機関に登録された南京事件の証拠写真は、偽写真の転用が沢山ありとても史実として認める

分けには行かない、虚偽資料のてんこ盛りであるとの事です。

中国の南京事件の記念館では被害者は30万人と云うデマ看板が堂々と展示されているようです。

史実としては、事件そのものが無かった・・これ全て中華民国の蒋介石政権による国際的な

プロパガンダの一環として、当時広く知られた事実でした。

 

この史実を日本は国連を含みもっと厳しく国際社会に訴求して来なかった・・。

ユネスコへの資金供与に関しても、我が国政府は余にも甘い態度に終始しており、

(国連への分担金の納付を遅らせる程度の対応)

もっと毅然たる態度で臨まなければ、画竜点睛を欠き国際社会でますます信用失墜するだけで

ありましょう。  

霞が関の官僚レベルの質が大きく劣化している・・と指摘出来ます。

 

中国の嘘も100回つけば真実になる的な宣伝に翻弄され、我が国は恥をかかされ続けております。

    しかも我が国では正しい近代史を学校教育で学ばせない・・このような教育姿勢が根本的な問題と

  して内在しております。

歴史を平気で捏造する韓国・中国に加え、これに加担する国内報道機関の存在を皆さま如何お考え

でありましょうか?。

 

今回のアパホテル騒動に関し、中国共産党の卑劣極まる邪悪なプロパガンダには、開いた口が塞が

りません。

この国の共産勢力は一体何処まで腐り切っているのでありましょうか・・。

共産党のプロパガンダに踊らされた中国の市井に生きる人々は、我が国に対して深い恨みを抱き

DNAレベルで植え付けられる・・これは不幸の極みと云わずして一体何と表現しましょう。

 

何処まで行っても真実は一つしか存在しません

ともかく我が国が過去に犯した戦争による負の遺産を、何時までも背負わされる国民はたまった

ものではありません。

中国政府のアパホテルに関する蠢動を見るにつけ、中国統治に悪用されその歪みが社会現象と

して現れていると考えます。

 

その一方で世界各国のアパホテルに関する報道を調べてみると、中国の姿に呆れ果て、自由の無い

倫理観が無きに等しい低俗な国柄である・・との報道が沢山見えます。

国際的な信用を自ら貶めている、この事にすら気が付かない程に悩乱しているように見えます。

共産党体制を敷く国は、この地球上でごく一部の存在となりましたが、人口が圧倒的に多いので

地球規模での悪影響は免れない状況であります。

 

前々回と前回の2回に渡り、アメリカの偽民主主義の実態についても記述させて頂きましたが、世界はさほど腐りきった人々の頭脳によって支配されているのが現実です。

為政者の精神世界の程度が、如何に低いかが正しく理解出来ましょう。

 



 

企業経営

 

企業経営に於いても、行き過ぎたグローバル主義に踊らされ、我が国の平和で安寧な社会構造の

存立を平然と破壊しております。

 

儲ける為には何をしても許される・・と云う企業理念で突っ走っておりましょう。

我が日本には古くは近江商人が如くの、商売は3方全て好とする理念があります。

現代的な表現では、お互いにウイン・ウインの関係でありましょう。

この人間性の発露が世界規模で失われ、ギスギスした世相となりました。

 

その結果、我が国では国民の約16%が相対的貧困層(年収200万未満層)となる事態が出現して

おり、特に若い世代にこの傾向が激しく、子供への学校教育に於いて大きな障害を来す時代に変展

し、悲惨な世相を呈しております。

2月12日のNHK特集で悲惨な貧困家庭の実態が報道しておりましたが、心が痛みます。

 

同じように労働しても賃金に格差を付ける社会構造は、明らかに病んでおります。

これも儲ける為には手段を選ばない・・という稚拙な経済哲学の上に会社経営を営む事で生じた

社会悪現象です。

まったく「頭が腐れば尻尾まで腐る」という社会現象が、我が国でも普通に見られる世の中に

なりました。

 

政府が声高に同一労働同一賃金と旗を振りながら、その裏でまったく逆方向に作用する労働行政を

平然と敷く・・これは一体何と表現しましょう??

まったく笑止千万とはこの事です。

 

先回指摘しました通り、何の権限も国民から負託されておらない竹中平蔵等の輩をこの社会的地位

から排除しなければ、社会は【闇・病み】から立ち直る事は不可能でありましょう。

しかし行き過ぎたグローバル主義は絶対悪でありましょうが、その一方でこれも行き過ぎた

一国主義思想では、世界は幸せにはなりません。

 

アメリカの民衆に代表されるが如く、ヨーロッパ社会でも今度は正反対の方向に大きく振り子が

働いているように見えます。

 

互いが繁栄する、3方全て好とする近江商人的な理念で、我ら地球人は社会建設を成さねば、何処

かで必ず行き詰まり破綻すると観じます。

会社組織は株主の為にのみ存在すると云う、偏った資本主義思想は既に賞味期限が切れておりま

しょう。

 

社会経営の本分は、その公器たる機能が十分に発揮され・株主にも・従業員にも・社会にも3方

全て好とするバランス感覚を研ぎ澄ます事こそが、我ら地球人を真に解放する為の手段であると

観じますが、皆さま如何でありましょうか。

さような簡単な事?すら理解出来ない程、経営者等の頭は悩乱の極みでありましょうか。

 

経済とは経世済民が正しい言葉であります。

経世済民・・この言葉の持つ意味を深く正しく咀嚼すべきでありましょう。

既にご紹介しました先哲である二宮金次郎の言葉が蘇ります。

「 道徳なき経済(商売)は罪悪であり、経済(商売)なき道徳は寝言である 」

この道徳と経済の中間に、正しい経世済民実像が存在するのでありましょう。

 

そしてこの事は日本人をして全世界に訴求する事が、我が民族の使命だと観じますが如何であり

ましょうか。

我等日本人の生きる上での基本的倫理観は、おそらく世界で一番高く3方好の国柄を世界に先駆けて

発信して行くべきと考えており、それが瑞穂の国の有り方であろうと考えます。

他国の悪影響を受け、これも多少ぐらついておりますが、まだ修正は可能でありましょう。

 

韓国・中国に振舞わされず、毅然とした態度で正邪を正しく国際社会に堂々と訴求して行く国柄で

あって欲しい・・。

アメリカのポチ犬的な歪んだ、卑屈な民主主義国家であって欲しくない・・。

何処かの属国ではなく、真に自立した国家の姿であって欲しい・・

 

その為には、隣国の泥棒国家から身を守る正当な術を有する国家であるべきと観じます。

それが我が国の完全な自立への道でもありましょう。

その為の基礎科学・工業技術力は有りますが、残念ながら自立する向上心が不足するように見え、

平和ボケした憲法の欠陥を直す必要があると個人的には強く思います。

 

相互集団防衛条約の締結が可能な普通の国家としての体裁を整えるには、専守防衛権すら放棄する

とも読める現憲法9条は改定すべきである・・が小生の立場です。(防衛交戦を放棄した条文)

 

程度の低い泥棒国家から身を守る為に、法的に必要な最低要件すら満たしていない現行憲法は即刻

見直されて然るべきだと観じます。

お断りですが・・小生は仏法者であり平和主義者であります。

最低限の自己防衛権利は人間の倫理要件に適うと考える者です。

理想は自己防衛が不要な地球市民の連帯構築が夢でありましょうが・・現実社会は・・。

 

自己防衛権を過大に振り回す事は大罪であり、自己防衛権なしは寝言である」と現段階の社会

構造では申せましょう。

理想と現実の乖離は甚だ大きく、現状に即した法体系であるべきでありましょう。

一党独裁の政権維持の影で、大多数の市井の民が塗炭の苦しみを味わっており、もうそろそろ中世

の如くの時代遅れのシステムは、破却されないと人類の進歩は無い・・と小生は強く感じます。

 



 

国家体制

 

北朝鮮の権力維持の目的で殺人が強行されました・・。

政権に纏わる問題は、中国でもまったく同じで民主的な手続きが無しで、平然と人権蹂躙が強行

されます。

さような中世の国家体制は、この地球上から一刻も早く消滅させねばならぬ!と考える次第です。

中国では情報統制を強めているようですが、既に国民はとっくの昔に目覚めておりましょう。

 

経済的にも最近行き詰まり、今年から来年にかけて社会的な動乱が勃発しそうな雰囲気になって

参りましたが、我が国にも多大な影響を被る可能性が大きく、心配しております。(難民等)

最近香港在住の中国人の超富豪が突然行方不明になった・・習近平政府が絡んでいるとの報道が

ありますが、これは彼の国が近代国家への歩みの為に、軋んだ姿であると見ております。

清濁含んで時代の川は流れて行きましょう・・その流れつく先が安寧な社会である事を願わざるを

得ません。

 

中国社会は政権システムが交代する度に同じパターンで数多の血が流れているようであり、悠久の

黄河文明は修正できないものだろうか・・と深く思索させられます。

彼らとの付き合の中いで、中国人から直接聞いた倫理観は、この世には支配者と支配される者の

2種しか存在せず、支配される側の人生観は、如何にすれば生き延びる事が出来るか?これが全て

であり・・上に支配あれば、下には必ず裏処方である対策が必ず存在する(生きる智慧)・・と

聞いた体験があります。

 

支配者層の眼前で如何に云い繕うか!・・出来なければ死が待っている・・このような厳しい社会

で生き延びて来た彼らの生活の知恵を、深く理解する必要がありましょう。

それにしても彼ら漢民族の忍耐の強さは、我が瑞穂で育った人間には理解を越えます。

その忍耐力の限界を超えた時、動乱と政変が起こる・・これが中国社会の悠久の歴史の実態です。

瑞穂の文化的価値観からでは彼らを正確に見抜けません。・・これが小生の経験値です。

 



 

古典に学ぶ― 

 

      

 

さて今回の古典に学ぶーのお題は、生きて行く途上で味わう様々な障害について、先哲の智慧を

ご紹介します。

人生を営む上で、自分の思うようにならない数々の障害が纏い付き、あるものは生命維持にさえ

重大な悪影響を及ぼします。

これらの数々の障害を乗り越える為に必要な、不変的な智慧は無いものでしょうか?

 



 

仏典によれば・・

 

この数々の生きる障害を、 魔!の作用 として表現しております。

これは魔羅(まら)の略語とされます。

更に殺者・能奪命者・障礙(しょうげ)・擾乱・破壊(はえ)・悪者などと訳します。

仏典のサンスクリット語から中国語へ訳する時に使う漢字は、元々の字が当てられていたそう

ですが、中国の梁武帝の時代に魔の文字が作られて、以後この文字を訳語に使うようになった・・

とあります。

 

この魔の存在は、人々の内面に住し自身の生命傾向を大きく左右して人生に大きな影響を与える

存在と、自分の人生を大きく左右する外的要因となる魔の存在に分けて考えられます。

 

いすれも人生に取って負の要因を成す言葉の集合体として扱われます。

魔には以下の種類に分けられます。

 


1)三魔

  三味魔・・自ら体得した禅定(清き心)に満足して向上心が無い故に、更にその上の正法修行              の障害になること。

善知識魔・・ 自分が習得した善なる知識と云うものに執着し、むさぼり他の人々を導いて行く事

       が出来ないという障りが有って、上位の正法修行の障害になること。

菩提法智魔・・菩提法(成仏に至る法)に於いて、ひたすら智に執着する為に正法の姿を覆い隠す

       故に慧の生命を損なう姿。


 2)四魔

   五陰魔・・自分の体(色)と意識(心)の総称を五陰と申します。

        その生命体が織りなす様々な苦悩に対してこの名前を付けます。

        陰魔・五衆魔・薀魔(おんま)とも申します。

   煩悩魔・・貪瞋痴などの煩悩が引き起こす数々の苦悩に名前を付けます。

       人の善心を妨げ衆生の心を悩乱させる生命傾向です。

              仏法上では自身の精神修養を妨げる存在をも含んで表現します。

   死魔 ・・死の苦痛で、人の生根を絶つ故に名を付けます。

   天子魔・・第六天の魔王の働き・現代的には権力者の迫害などに当たる。

    

上記の三障に加え四魔と合わせ三障四魔と表現されます。


3)八魔

   四魔とは一般の凡夫に対する障りの表現ですが、既にご紹介しました十界の生命境涯である

       声聞界と縁覚界に対して更に下記が追加されます。

   無常魔・無楽魔・無我魔・無浄魔の4種を加えて表現します。

   凡夫の生命から、精神的修行を積んで上位の境涯に到達する過程で生じる様々な精神の障りの

   部分です。


 4)十魔

   五陰魔・煩悩魔・業魔・心魔・死魔・天魔・善根魔・三昧魔・善智識魔・菩提法智魔の十種の            魔を指して十魔とします。

 

        業魔・・殺害などの悪業によって正法を修める(修行する)場合の妨げとなり、慧命を害する

                    働きです。

        心魔・・憍慢(きょうまん)な心の為に正道の障りとなり、慧命を害する働きです。

        死魔・天魔・善根魔・・

             合わせて自得の善根に執着して、精進しない為に正道を被い慧命を害する働きです。

        三昧魔・善智識魔・菩提法智魔・・

            正法を修行する時には必ず魔が競い起きて修行の障害になる。

            その中でも高度な領域に於ける精神世界の障りです。

 


 

天台大師が顕された魔訶止観の巻五上には下記の記述が見られます。

 

  「 行解既に勤めぬれば、三障・四魔、紛然として競い起こり、昏を重ね散を

    巨(おおい)にし、定明を翳動(えいどう)す。

    従うべからず、畏るべからず。 之に従わば、将に人をして悪道に向かわしむ。

    之を畏るれば、正法を修することを妨ぐ 」

  

 とあり、正法を修める者の心得を説いております。

 日蓮大聖人は、我々庶民に対しては魔が競い起こる事への警告として以下の

 御文が伝わっております。

 

  「 凡夫の仏になる又かくの如し、必ず三障四魔と申す障り出来たれば賢者は

    喜び愚者は退く これなり。 」

   

  凡夫が仏になる為に、正法を修行しようと試みると、必ず三障四魔が紛然と競い起こるが、賢者は

  魔が出現した事を修行の証として喜ぶが、愚者は魔を避けようと懸命になって、修行を止めて

  しまう。

  仏道修行が進めば進む程、それを阻もうとする抵抗勢力の蠢動(魔)が激しくなり魔を魔と正しく

  見破る事が出来る強い精神力(信仰精神)によって仏道修行を成就し、仏界へと至る事が出来る

  との 指南になっております。

 

  このように魔の存在は、殺者・能奪命者・障礙(しょうげ)・擾乱・破壊(はえ)・悪者と定義

  されており、特に殺者・能奪命者の働きには十分過ぎる注意が必要となります。

  正法を学び修行が進むと、一般世間では自分に対して世間からの外的な圧迫が、も凄い勢いで生じる

  事は、小生の体験からも頷けます。

 

  所謂世の中を渡る時に、正しい人間道とする倫理観を正面に振りかざせば、翳す(かざす)ほど

  自分の人生に対する邪悪な存在が牙を剥いて襲って参ります。

  これは会社で仕事をする上で、数々体験しました。

  この世間の作用について、日蓮聖人は下記の如くに表現されております。

 

「 この世界は第六天の魔王の所領なり

  一切衆生は無始己来 彼の魔王の眷属なり・・云々 」

 

  この魔王である第六天の魔王は、衆生は仏になる事を嫉み、執拗に正道を修行する事を邪魔し、

  大きな妨害要因として我が眼前に立ちはだかります。

  では何故そのような作用を、修行を積もうと試みている者に及ぼすのか?

 

  日蓮聖人は以下の如く指摘されております。

    「 元品の無明と申す第六天の魔王が、一切衆生の身に入って、仏をあだみて

      説かせ まいらせじ と せしなり 」

 

  ここで指摘されております、元品の無明とは衆生である凡夫の生命に本来生まれ乍に備わっている

  根本的(本源的)な迷いの精神境涯の事です。

  この根本的な迷いの境涯が、凡夫の生命体をして最悪の第六天の魔王として顕れそれる事と、その

  裏腹の関係で元品の法性(悟りの境涯)と、隣り合わせで同時に包含されており、何かを縁にして、

  元品の無明の境涯が魔の姿として現れると理解出来ます。

 

  この元品の無明が顕れた相手に対しては、仏道修行をする者は以下の心得が必要になると日蓮聖人は

  指摘されております。

 「 此の本法を受持するは、信の一字なり。 元品の無明を対治する利剣は

   信の一字なり。無疑曰信(むぎわっしん)釈 之を思う可し 」

 

 正しい仏道をひたすら信じて疑わず、ただ一貫してその精神をき通す精神力を涵養する

(信・行・学)事こそが、第六天の魔王に勝つ要諦である・・とのご指南であります。

 

 この第六天の魔王は、時には己の生活基盤を完全に破壊し生命維持にも係わる程の破壊力を秘めて

 おります。

 この外的要因は、結局自己生命の内部に涵養された元品の法性である悟りの境涯と云う利剣でしか

 対決する事が出来ません。

 魔の出現を正しく見抜く眼力は、己の生命境涯が無明に被われていれば、決して見破る事すら叶い

 ません。

 



 

     小生の体験から・・

 

  小生の場合も己の生活基盤を完全に破壊されるような、第六天の魔王が蠢動しこれと真正面から対決

  し勝ち越えた実績があります。 

  人権を完全に無視し権力の横暴の限りを尽して、人々を弾圧する境涯の人物が第六天の魔王の存在で

  ありましょう。

  小生が対決した第六天の魔王は、その魔王自身の命が病魔に襲われ、結局生命を落す事で最終決着を

  見ました。(正義は必ず最後には勝を証明)

 

  この恐ろしい強敵と真正面からぶつかるには、己の生命をかけた勇気が必要となります。

  その強靭な精神力は何処から生まれるか・・これは間違いなく人間としての正しい倫理観に基づく

  正義感(仏の境涯の一端)から生まれます。

  故に勇気が無い愚者は退き、賢者はこれを機会として己を鍛錬する場として活かし、己の次の

  ステップへと成長して行くチャンスと捉えます

   

     故に元品の無明に差配された、権力者(為政者・会社経営者)は他の生命をも左右する故に強敵の

     存在となりますが、逆に元品の法性として権力者に顕れた場合は、その人の周囲は間違いなく

   羲嚢の世の姿となって顕われましょう。

これは国レベルでも・会社組織レベルでも・地域生活の自治体でも家庭でも、その存立基盤として

の現象はまったく同じ理屈が成立しましょう。

 

故に己一人が厳然として立つ!!

その理念・生き方が世の中を変えていく要諦となる次第です。

魔群に対しては決然として己から立つ!との思いで、己の納得が行くまでこれと対決し生き行く

姿が、己を成仏の境涯へと誘って行く根本的な要諦となりましょう。

 

故に絶対悪に対しては妥協してはならないと仏典では繰り返し説いております。

上記のアパホテルの中国からの邪悪なプロパガンダ騒動も、当該社長の確固たる信念の元に展開

されおり、彼の社長は決して負ける事は無いでありましょう。

彼の社長の行く手には羲嚢の世が広がっておりましょう。

 

因果俱時であり、結果は明らかで魔群の究極の姿は、既に崩壊の二字が見えます

悩乱した元品の無明の共産党政権の行く末は、甚だ残念ながら?既に決しております。

 

加えて仏の生命境涯能忍と訳します。

よく耐え忍び、正論を曲げず魔を相手にそれを矯正して行く強靭な生命力と、勇気を持った行動力

の姿なのであります。

高い倫理観と行動力が求められるのが仏の境涯なのでありましょう。

口ではいくら立派な事を云えても、行動力を伴わない人物は決して境涯が高いとは申せません。

故に仏道修行を志す者は常に、信・行・学の一体化が問われております。

 

この世を渡る上で理不尽な事が余りにも多く、己の思うようになりませんが、

人間としての精神境涯の元品の無明の世界と、それの対局の元品の法性との対比で考えると、社会構造が正しく理解できる・・と云うお話でした・・。

 

精神的に魔群に追い詰められ、我が生命を自ら断つと云う真に悲しい現実があります。

これも甚だ残念の極みながら、魔群に食い破られた哀れな姿なのであります。

 

我が命を張る程なら・・それに相応しい生き方が必ず存在します。

正々堂々と真正面から、この魔群と戦うには我が生命に強靭な仏の境涯を必要とします。

この機会に今まで小生が記述して参りました、仏法哲学の数々をわが身に沁み込ませ生活の糧と

されます事を望んで止みません

 

決して魔群である能奪命者の働きに己の精神を食い破られ、我が道を失ってはなりません。

この世で、我が生きる道を諦める・・真にこれこそが能奪命者が勝利する姿なのです。

魔群は如何にして諦めさせるか・・ここを突いて参ります。

 

 日々の生活の上に惹起する邪悪な魔群に対して、決して負けない・・正しい人生を歩む術の

 一端として、先哲の智慧を記述してみました。

   お役に立てば真に幸甚です。

 

 なお不明点・ご感想・相談など御座いましたら通信覧に記述して下さい。

 個人情報の守秘義務は完全に保証されております。

 

 

  本日は此処までとさせて頂きます。 爺拝

  写真Data:撮影機材・・Pentax K-1  F4.5 80-160mm 645用レンズ 撮影・マニュアルモード