古典に学ぶー供,修裡粥[正安国論ー後編

  • 2017.03.28 Tuesday
  • 13:36

                 

                 滋賀・長浜盆梅展

 

           爺の喫茶室へようこそお越し下さいました。

 

 

      前回に引き続き日蓮大聖人の立正安国論を紐解いて行きましょう。

      前回は為政者が乱れる故に、国に災難を招き寄せる点を記述しました。

      主に中国の指導者の例を引きながら、庶民を殆ど顧みる事がない

      農民戸籍の市井に暮らす数多の庶民が、塗炭の苦しみを味わう因となる

      所以を記述しましたが、今回は題号である安国の部分を記述します。

 



 

 

  安国の意味について・・

 

この言葉は国を安んじると書いてあります。

ここでは何を以て安んじて行くか・・と云う点が重要となります。

安国の言葉に対して日蓮大聖人以前の仏法では護国と云う言葉が沢山使われます。

この護国とは即ち国である処の国境線を守る・・と捉えて間違いありません。

 

更に変じて鎌倉時代の意味では国を構成する為政者を守る・・と云う概念が存在し、其の為に宗門は為政者に祈りを捧げる・・このような姿でありました。

太平洋戦争に突入する前に、神の象徴である天皇を守ると云う概念を日蓮大聖人が唱える安国と捉えて思想操作が行われ、この日蓮大聖人が説かれる立正安国論を日蓮宗門が先頭し、悪用された経緯が

あります。

 

即ち法華経の宗門が率先する形で、日蓮主義と云わせて民衆を誑(たぶら)かし戦争に突っ込んで

行ったと云う悲しい歴史が存在します。

この国境線を守るのはあくまで護国であって、日蓮大聖人が云われる処の安国の姿では決してあり

ません。

(国境線の拡大を図る覇権主義でもありましたが・・)

 

現在でも安国の意味を、かなりの人々が誤解して理解している模様です。

日蓮大聖人が云われる処の安国とは、為政者を守る為の安国では無く、あくまで市井の庶民の上に

存在せねばならない安寧静謐(せいひつ)な国の姿であり民衆を戦争に駆り立てる姿では決してありません。

 

既に述べました如く仏典は民衆の苦しみを知らない為政者は三悪道に堕する・・

又別の御書では王は民を親とすべきである・・と説かれております。

この通り、法華経思想の神髄一般庶民の安心・安寧を目指すのが国主の務めであり、この点に意を注ぎ主眼とせねばならない筈です。

 

この為政者の安寧の為では決して無い・・ここを外したら日蓮大聖人が云わんとする重要な次元

(メッセージ)は、まったく見えて来ないと申せます。

戦前の国威高揚に於いて悪用されましたが、日蓮大聖人の本意ではあり得ない主客が転倒した議論である・・とここでは指摘しておきます。

 

中国では習近平氏を絶対の核心的な存在として祭り上げ、氏の云う事が唯一絶対無二の神的な存在であり、これが国家形成の枢要を成す 云々と・・先だっての人民代表大会で、参加者はこれを強要

されております。               

これを民主主義国家からの価値観で見れば、正しく茶番劇でありましょう。

 

民衆を主人として為政者側を客として見る、日蓮大聖人をはじめとする仏法思想、この視点で国家

安寧を捉えなければ、国としての繁栄はあり得ない・・即ち日蓮大聖人は、鎌倉時代に既に現代の

主権在民叫ばれていた のです!!。

鎌倉時代の武士階級から見れば、武士が世の頂上とする思想であり、日蓮大聖人の思想は彼らに

取っては危険極まる思想である・・と捉えられた故に、権力者側から数多の迫害を受ける要因と

なった次第です。

 

鎌倉期に於いてはこの思想は進み過ぎており、政権側の理念では到底理解する事は不可能であた・・でありましょう。                                 

これを中国の政治形態に当てはめて考えると、大変よく分かります。

ネット規制し庶民から情報を遮断し、弾圧を強化する挙に出ております。

しかし中国人民が広く海外に出かけ、民主主義国家とは一体何か? この空気を吸っただけで、如何に自国の政治体制が時代遅れで、邪悪な体制であるか・・この事を嫌でも認識させられるのであり

ましょう。

 

中国では人民軍と云う武力装置によって庶民は思想・心情の弾圧を受けており、人民軍と称しながら

これは正確には共産党守護軍が正しい表現でありましょう。

(国民を守る為の軍隊ではない証拠・・天安門事件が証明しております。)

政治的な基本路線は、庶民は見放され塗炭の苦しみの中に埋没し、仏法精神とは真逆の政治体制が

中国共産党一党支配の真の姿であり理念であります。

 

他の宗教を含め、思想・宗教界は常に苛烈な弾圧を受け続けております。

中国の現状は日蓮大聖人が生きた中世の時代そのものを、我々は現代の世に見ており、世界は民主

国家が大半を占め隆盛を極める中で、数々の矛盾を孕み乍今正に破裂寸前の風船が如き状態を呈しておりましょう。

 

ところで・・立正安国論の中で国と云う漢字が3種類使われております。

 

国・・囲いの中の字が玉は、これは為政者を念頭にした国を表現します。

國・・囲いの中の戈の文字は鉾の意味がありこれは国境線を意味する國です。

民 ・・口構えの囲いの中が民の文字は国民を表します。

    日蓮大聖人の立正安国論は、この文字を厳格に使い分けされており、この民を意味する文字が

   全体の8割を占めます。

 

 

日蓮大聖人が云わんとする安国とはこの口構えの民を表す文字を使った 民(くに) であり、王である国では決してありません。

 


 

  災難が発生する根本要因 

 

前回の冒頭に記述しました国の災難は一体何に起因するのか?

この災難は自然災害の側面と人的災難の両側面が存在しましょう。

人災の最たるものは、自然災害に対し飢餓による災難と、疫病も栄養不足による体力の衰えから来る側面もあり、これは人知な対応で防止できる範疇です。

 

即ち国が安国であれば、為政者は善政を敷き羲農の世となっている筈です。

その羲農の世に於ける国土世間は、互いに助け合う社会が形成されている筈です。

故に自然災害を切っ掛けにした数多の人災側面は、極限まで抑えられる筈です。

この災難の側面に対して日蓮大聖人は下記の通り仰せです。

 

「世皆正に背き 人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り 聖人は所を辞して還りたまわず、

 是を以て魔来たり 鬼神来たり 災起こり 難起こる」

現代訳

世の中は全て正法に背き 人々は皆悪法に帰して(信じて)いる。

故に善神は国を捨てて去ってしまい 聖人は所を去って帰って来ない。

その為に魔や鬼神が国中に満ちて災難が起こるのである。

 

ここで言う善神とは、社会・自然を守る良い働きの事であり、聖人とは社会を正しい道に導く精神的

な指導者の事であります。

魔の作用とは前回も取り上げました通り、人の心や秩序を狂わせ 命や功徳を奪う 肉眼の目には

見えない作用・働きを云います。

鬼神とは人の力を越えた破壊力を持つ働き・現象作用を意味します。

 

ここでは大自然の作用に加えて人間世界の作用によって、その災害の程度が増幅され庶民を襲う姿が描かれております。

この人的な作用の及ぼす処を、日蓮大聖人は経文を引かれて以下の通りに述べらております。

 

「 国土乱れん時は、先ず鬼神乱る 鬼神乱るるが故に万民乱る 」

 

国土・社会全体が自然現象が因で壊滅して行く時は、最初に人智では何ともしがたい破壊力を持つ

大自然の作用がある、その大自然の作用に付随して思想心情・宗教の狂いによる心身の乱れが必ず

存在する。

 

 それ故に、当初は鬼神の乱れは目には見えない部分が存在するが、最終的には国民の大半の思想が

 乱れた事に起因し、世相万般が乱れこの結果として国家的規模で、人災の側面である悲惨な現実の

 姿を眼前に晒す事になる。

日蓮大聖人は思想の乱れとして以下の如く指摘されております。

誤った思想・宗教これこそが民衆不幸の本源的要因であると指摘されております。

 

この立正安国論では、念仏思想に対して破折されております。

念仏思想とは、此岸(この世)を嫌って去って行き、彼岸(あの世)の極楽浄土に往く・・つまりは現世では不幸であっても、それはかまわない。

死んだら必ず浄土で成仏可能であるとする思想です。

 

生きている間での成仏はあり得ないとする厭世主義、即ちこの世が嫌になってもそれは肯定される、一切の諦めに通じる考え方であり生き方となります。

故に自身が危難に有っても、その状態から脱しようとする生命力が湧かない・・飢餓は食料が手に

入らない・・これを庶民連帯の力で克服しよう・・とする意欲とか智慧が湧かない。

 

死ねば楽になり、極楽に行けると云う厭世思想であれば国土は荒廃する理屈です。

これも己の成仏さえ求めれば良く他人の事は思慮の外・・この思想であれば、自らの屍の後始末まで考えが及ばず、結句屍が数多と路傍にころがり、屍で橋を作る程の社会現象が其処に湧現します。

 

法華経の立場はこれとは真逆で、現世こそが成仏する場であり仏法思想の最高峰の教えは、生まれ

乍に本源的に持っている各人の仏性を発揮すれば、現世に於いてこそ成仏する・・と説きます。

 

南無阿弥陀仏と云う念仏の声(響き)は哀音(あいおん)と大聖人は表現され、悲しい響きを持つと指摘されます。

即ち念仏宗に対する布施を止める事が、社会の為に重要であると指摘します。

 

念仏宗は現世成仏の機会を奪ってしまう・・この事は鬼神が乱れると云われる、世の中を掻き乱す

根本要因になっているとの警告を、この立正安国論の中で展開します。

これ故に宗教界の他宗からも日蓮大聖人は迫害を受ける事態へと展開します。

 

ちなみに念仏宗派は、浄土宗・浄土真宗・時宗から成ります。

この現世での苦悩を諦める・・と云う思想は、当時の武士階級に於いて、民衆支配の為におおいに

使われ、悪政には諦めると云う誤った思想に民衆が導かれて行く姿を、日蓮大聖人は鋭く見抜いて

おります。

その宗教界は政治と深く癒着しており、民の方をまったく向いておりません。

 

その意味で中国の民衆は軍の力によって、厭世主義が蔓延しておりましょう。

唯一経済発展で国民を富ませる事が、共産党の存在理由でありましょうが、この経済運営にも

行き詰まっており、彼らには終焉が近い・・と観ずる次第であります。

 


 

  災難の勃発 

 

日蓮大聖人は、このまま思想が乱れた状態の世を放置したなら、次は最終的に今まで起きていな

かった災難が国難として襲って来ると予言されます。

これは仏典に説かれている三災・七難の視点から説かれて行きます。

いままで鎌倉期の日本が受けていない国難は、以下の2点だとの予言をします。

 

それは・・

自界逆難(じかいほんぎゃくなん)・・内乱・国内の動乱

他国侵逼難(たこくしんぴつなん) ・・他国からの侵略を受ける難

乱れを放置した結果、この二つの深刻な国難である戦争状態が襲って来て、更に混乱が極まって行くと予言されました。

この2つの難の指摘は、下記の如く正に的中する事になります。

 

ここで仏典に云う三災・七難について記述します。

この考え方は俱舎論巻12等に説かれております。

 

三災・・大の三災小の三災があります。

大の三災・・・火・水・風の三種の災難

小の三災・・・穀貴災(天災等で五穀が実らず飢餓に遭うこと)

       刀兵災(戦争による災害で兵革災とも言います)

       疾疫災(伝染病・流行病による災害で疾病災とも言います)

 

七難の定義は説かれた経によって少しずつ違いがありますが、ここでは薬師経による説を記述して

おきます。

 

1.人衆疾疫の難・・伝染病・流行り病で多くの死人が発生する難

2.他国侵逼の難・・他国の侵略で征服され 多くの生命が奪われる難

3.自界叛逆の難・・内部分裂による同士討ちの難

4.星宿変怪の難・・天体の運行に異変が生じる、彗星が現れる怪を指す

5.日月薄蝕の難・・日食・月食を云う(当時の人々には理解不能の領域)

6.非時風雨の難・・季節外れの雨とか風が発生する事による難

7.過時不雨の難・・雨期になっても雨が降らない天候異変の難

 

これも隣国中国に於ける自界逆の難を当てはめて見れば・・彼の中国は既に内乱状態にある・・と識者は指摘されております。

100人以上の規模を上回る騒動は、既に年間30万件以上発生しており、これを国家保安組織と軍が

抑え込んでいる状態です。(一説には50万件以上とも云われます)

世情が荒れ果て、全民衆の蜂起が近い・・と予測されますが果たして?

 

経済的にも行き詰まり、過剰投資で数多のゴーストタウンを建設し、無駄な国富が失われた。

日本の新幹線をパクった中国版新幹線網の建設も、需要がない場所まで乱暴に2万km以上も建設した結果、これを管轄する鉄道局の収支決算は概ね70兆円の負債に及び、返済の見込みはまったく無いと

云われます。

 

ご承知の通り、鉄鋼生産設備の保有規模は年間12億トンと云われ、現在稼働中の設備は約8憶トンと云われます。

中国の内需としての需要規模は約5〜6億トン程度が適正と云われ、余剰生産分は海外に流れ世界各国の鉄鋼需要を大きく掻き乱し、大問題になっております。

我が国も多大な迷惑を被っております。(国内の年産規模は約3億トン)

 

この余剰鉄鋼設備はその大半を、国営企業が運営し経営的には大赤字状態に陥っており、それを全て清算(倒産処理)すればそこに働く民衆の概ね160万人とも180万人とも云われるリストラを強行する必要があると云われます。

(彼の国には倒産と云う概念がそもそも無いそうです)

この民の首を切れば、確実に暴動が起こりましょう。

 

ちなみに全世界の必要鉄鋼生産規模は年約16億トンと云われ、世界の半分を中国一国で生産している事になります。

これは自由主義諸国圏ではまったくあり得ない光景でありましょう。

有り余る鉄鋼をAIIBなる融資組織を使って、他国に有償援助のふりをしてその実は、経済的に他国の

支配を目論んでおり、小生には自滅への道をまっしぐらに暴走しているとしか見えません。

 

この現象は、小生が関係した業界でもまったく同じであり、例えば半導体分野・液晶などの

ディスプレイ表示分野でも、気が遠くなる程の兆円単位の爆投資が予定されており、太陽光パネル

の騒動と同じく、需要の有無に関係なく同様に突き当りまで行く傾向があります。

 

恐ろしい事に我が国の技術者を高給で漁りに来ております。

技術流出は元より亡国に手を貸す事になるのは必定です。

日本人は もういい加減 目を覚ます必要があり、その見返りはミサイルで我が国を狙う事です。

ともかく・・彼らは血の滲むような努力と開発投資の概念がまったくありません。

智慧はお金で又は非合法的でパクって、物を作ってお金を荒稼ぐ・・その概念しか頭に無い。

 

需要と供給の関係をまったく無視した政治・経済運営は、とうとう行き詰まり中国全体の負債総額は3300兆円を超えているのでは・・との疑いの眼で世界中から見られております。

麻生財務相が国会答弁した通り、この国は崩壊する事は分かっている・・しかし如何なる形で崩壊するかが問題である・・こんな会話が国会審議の場で交わされる事態に至っております。

 

そしてその極め付けは・・他国侵逼の難

この自国の国難を外に眼を逸らす目的で、尖閣列島を奪う作戦が既に立てられその機会を虎視眈々と狙っている・・との報道があります。

これを実施すれば、正しく彼の国は他国からの侵略を自らも招く事になりましょうし、そのギリギリの時空間を中国政権はさ迷っております。

 

日本は彼らの策略に、まんまと乗せられてはなりません!

 

人衆疾疫の難では鳥インフルエンザ騒動・サーズ騒動があります。

いずれも政治体制の不備から民衆が被害を受けております。

非時風雨の難・過時不雨の難では、山河の疲弊を因として彼の国には飲む水のみならず食料生産用の水確保が思うようにならない・・土壌まで重金属で汚染人心の乱れの極地に到達しており、正しく

鬼神乱れるの湧現した有様です。

(自分の目で民衆の悲惨さを目撃しました・・田舎では日本の中世の姿に似る)

 

以上の通り、日蓮大聖人がこの立正安国論を述作された鎌倉当時と、現在の中国の国体は極めてよく酷似していると云う事です。

何れせよ彼の国の政治体制は、只今崩壊の危機を迎えている事は衆目の一致する処でありましょう。

 


 

 日蓮大聖人の予言と平和への胎動 

 

そしてこの諫言の書を提出したその12年後、文永9年2月に2月騒動とも云われる内乱で、大聖人が

予言された自界逆難が勃発します。

それも身内同士の政権奪取闘争で、この年に当時の執権であった北条時宗に対し、兄である北条時輔が反逆を起こし政権を奪います。

 

更に立正安国論の提示から14年後の文永11年10月に文永の役と呼ばれる蒙古襲来が勃発し、更に

21年後の弘安4年に弘安のとして2回目の蒙古襲来を受けます。

何れも大聖人が予言された通り他国侵逼難の警告が的中します。

蒙古襲来では九州の奥深くまで侵略の手が及び、結局市井に生きる民衆が一番被害を受ける事になります。

 

日蓮大聖人は仏典に示された人間の本質に学び、このまま世相を放置すれば餓死等の惨状よりもっと酷い国難が発生すると、時の執権に対し諌暁の書である立正安国論を提出し警告した分けですが、

残念ながらこれが用いられる事なく打ち捨てられた故に、とうとう外国からの侵略を招く事態となります。

 

国主の政治基盤でもあり民衆の生活の基盤である、この国土そのものを失うと云う程の危難である

戦争と云う現実が襲って来た分けです。

翻って深く考えます事は現代に於ける各種戦争兵器は、その殺戮規模は目を被う程でありましょう。

 

一度戦争が勃発すれば、正しく取り返しが付かない程の犠牲とインフラ破壊に繋がり、過去営々として築き上げて来た全ての富が全て吹っ飛んでしまします。

その事を我が国は第二次世界大戦で学んだ筈です。

正に戦争による甚大な被害が及ぶ現代こそ、日蓮大聖人が警告を発したこの立正安国の精神に

学ぶべきでありましょう。

 

為政者は正しくこの庶民の目線を片時も忘れてはならず、中国の一党独裁とは申せ共産党体制崩壊への庶民の怒りには敏感です。

結句平和主義を如何にして訴求するか・・全てここに懸かっておりましょう。

我が国も相手の喉首に刺さった棘を如何にして取り除くか智慧の出しどころです。

 

日蓮大聖人はこの諌暁の書で、以下の如く平和への宣言をなさっております。

 

「汝須らく 一心の安堵を思わば 先ず四表の静謐(せいひつ)を 祈らん者か 」

 

自分の安心安全を望むのであれば、まず周囲の平和を如何にして実現して行くか・・この事を思考

し実現する為の智慧を絞るべきである。

平和は自分一人だけの事を願っても実現しないと説いております。

言い換えれば我が国1国だけの平和を云々しても、それは夢想にすぎない・・と指摘されております。

 

ましてや鎌倉時代にあっては、為政者の安心・安全を願うのであれば、四表の静謐 即ち周囲の安定を図る為には、それを構成する土台である処の、庶民の人権・暮らしを守る・・このような政治が

重要であると諫言された分けです。

自国の静謐が得られない処で、他国との静謐(平和・安定)も無いとの指摘です。

 

幸いにして・・我が国は他国よりもその平和に対する認知度は高く、これを広げ行く能力には長て

おり、その人材も豊富に存在します。

故に我が日本人は、更なる平和への貢献が出来ると信じている次第です。

如何でありましょうか・・鎌倉時代の諫言の書ですが、これはもう完璧に現在の為政者に対しても まったく同じ事が申せます。

 


 

  宗教の役割 

 

この立正安国論は何を問うているのか?

これは人間の境涯の改革を通して、現実社会の改善に資する事を目指している。

これが日蓮仏法の目指す処であり、役割であります。

我が己心の境涯を改善する事人間革命と称します。

 

従って法華経に帰依し、己の境涯を磨く事で現実社会の依法をも改善していく・・

これが人類繁栄に対して最も貢献する道であると信じます。

即ちまず自らが変革しなければ、相手は決して変わらないと云う普遍原理です。

 

これは国家間であってもその理屈はまったく同じです。

故にまずこの日本と云う国が世界の手本である・・と得言える静謐な社会を実現すべきであり、

それはとりも直さず自分自身の境涯を高める・・これ以外に方法は無い!!と申せます。

 

故にその境涯革命を起こす手段として人生を豊かにする手段としての宗教の役割がそこに存在します。

正しくこの法華経とは何ぞや?・・と問われた時に、これは 現実を変革する力 を持った

 宗教哲学 であると主張出来る次第です。

世に宗教と云われる教えは沢山ありますが、以下の如くに分類する事が可能です。

 

1)現実追随の宗教・・現実に埋没する宗教で、例えば為政者を養護する為に祈祷中心の・天台・

           真言等の仏教

2)現実拒否の宗教・・己の悟りの境涯のみを追求し出家主義の宗教・鎌倉期の禅宗が該当

3)現実逃避の宗教・・厭世的な宗教であり、あの世に脱げる念仏宗に相当

4)現実改革の宗教・・幸福境涯に向けて人間自身の変革を目指す

           自分の人生を変え・周囲をも幸福に変え行く逃げない仏法で、これは釈尊の

           究極の教えでもある法華経です。

           別しては日蓮大聖人がその生身で読まれた法華経実践から来た全ての法理

          (日蓮仏法)です。

 

世間では俗に人を救う行為云々と申します。

人が人を本当に救えるのか?・・これは自分自身が仏の境涯をわが身に帯した時にのみ初めて人を

救える・・と申せ、故にこれは簡単な事ではありません。

同じく国家が国家を救えるか? これもまったく同じ理屈であり・・上記が如く自国が静謐であると云う条件下始めて他国に手を差し伸べる事が可能となります。

 

己の精神的境涯が低ければ静謐になれる分けも無く、絶対に相手を救う事は不可能である・・の理屈です。

この静謐とは個人の次元では人が生きる上に於いて境涯が高い・・と云う事でもありましょう。

たとえ経済苦を抱えた状態であっても、精神的境涯を高める事は可能です。

分かり易く申せば、経済力はその人物が生きて来た結果であり、後付けで種々説明される内容でしか

ありません。

 

即ち何の目的で何に対して 如何に生きるか? 生き切るか? 生きられたか?

この次元を常に我が胸に(精神)に問う、生きている時間内で自分に連続して問い続ける人としての営みになります。

故に如何に生きるかこの次元を追及すれば、必然的に哲学的な境地を開拓する(開く)必要が出て

参ります。

 

そしてその境地・境涯を高める手段として、先哲の智慧である法華経に範を学ぶ事

(日蓮仏法を身に纏う)を小生はお勧めしている次第です。

 

小生の体験は、この経典を胸に実生活上で必要な修行を施せば(仏界へと我が身を開発する手段を

得る)、ただ凡夫のままに現世で成仏できる・・正確には成仏したと悟れる瞬間が必ず訪れる

(例えば己に納得が行く精神状態もその一つ)

故は天下万人、生まれながらに仏性を持ってこの世に出現しているから・・

 

これを開拓するか否かは天下万民自由です・・が

その仏界を開拓する手段の1つが、法華経の最高峰の哲学を学び、お題目と呼ばれる我が己心

南無経法蓮華経を唱え、これを信じる事だけです。

即ちお題目を唱える事は、自分自身と向き合う時間であります。(自行と申します)

そして境涯革命が進み、人を救っていく菩薩の境涯へと発展して行きます。

 

これを実践する中で、真に人生を営む上での深みを味わう事となります。

ここにも記述しました通り、仏法と申しましても他宗の教えがありますが、この劣悪な宗教による

悪影響も当然御座います。

 

釈尊が始祖の仏法であるにも関わらず、現代に於いては教えが変形して釈尊の仏法哲学から遊離し

形骸化した状態は、過去にも記述して参りましたが、日蓮大聖人も種々この弊害について重要な指摘を沢山されており、この辺りはまた別途の機会が有れば記述を試みる心算です。

 


 

 日本の文化力 

 

ともかく世の中の乱れの根本要因は、思想が乱れた結果であると諌暁の書である立正安国論で指摘

されております。

ある海外識者は、日本人は自分が努力しても打開できない程の困難に直面した場合、すぐに諦めの

境地に立つ人々が実に多い。

これは古くからDNA次元で生命に諦めの命が刷り込まれており、これが日本人の特質である・・

と指摘します。

 

しかし逆に、深い団結力と我慢力の側面を見逃がしでおります。

古来より日本は資源に乏しく、地震災害・台風災害・火山活動災害など大自然から受ける各種・災難のてんこ盛り国家であります。

自然の猛威には団結し、無いものは相互に融通しあい・助け合い・資源が無い故に人智の限りを尽くし生きる為の工夫をする事で、国家体制としての基板を築いて参りました。

 

災害が多く・資源に乏しく貧しい・逃げようにも周囲を海に囲われ、逃げ場も存在しない・・だからこそ、大自然の荒ぶる猛威の前で苦境に陥った時でも整然とした社会秩序が保たれる・・

我慢強い・・これは諸外国には真似ができない倫理規範を実現した国であります。

 

ある意味で日本文化の奥襞(ひだ)の底まで、この精神が深く浸透している社会であると理解出来

ます。(既に江戸時代にその萌芽を見ます)

 

思想が幼稚な鎌倉期とは違い、民主国家として戦後再生を果たした我が国は世界にその範を示せる

民族集団になった事は事実です。

しかしここから先は、世界に対して人々を先導して行く役割を担うのを、我が民族の主眼とすべきでありましょう。

それには民衆の一人・一人が更なる次元で人間力を磨かなければ、世界には通用しない事は自明の理です。

 

その意味では中国との尖閣問題も為政者は、ただ単に中国を取り巻く政治的な包囲網を形成する事を模索するだけでなく、真正面から彼らと向き合い、人間としての条理を尽くし深い次元から共存共栄の道を模索し、無駄な争いを避ける智慧を、お互いに出さねばならない時節が到来している事は間違いありません。

 

国家と云う概念を越え、もっと賢く地球平和への道を模索しなければ、人類の行く末はその究極に

於いて滅びへの道を歩んで行く事になりましょう。

分かり易い言葉で申せば、国境と云う概念で縛られた国益のみを追求すると云う政治思想だけでは、この狭い地球上に暮らす人類は、救えない時代にさしかかっていると理解すべきものでありましょう。

 

しかし言うは易し・・行いは難し・・思想・文化の違いを超えて連帯する事は現代人類のおおきな

課題でありましょう。

 

しかし狂った相手を説得するのは為政者ならずとも、相当な覚悟を以て彼と対峙する他に手段がないと思えます。

所謂丸腰状態で相手との対話に臨むのは、甚だ残念の極みながら現段階の人智に於いて説得力が無いと考えるのが自然でありましょう。

狂人相手にその条理を解くのは、死人に対して説法をするに等しいでしょう。

 

鎌倉時代の理念に近い一党独裁政権を合法的に倒せるのは、国を形成する民衆の手に依る以外に手段は無いと見えます。

為政者を相手にするのみでは無く民衆の智慧に頼るべきであろうとも考えます。

 

我が国の大衆社会が安定富めるこの現実の姿を、もっともっと広く中国の一般大衆に見せる事が、為政者の暴発を防ぐ有効な手段になって行く事を願って止まず、所謂平和への連帯の手を民衆同士で図る事です。

その効果がじわじわと表れて来ている・・との実感を持ちます。

しかし、我が民族も富める現状に胡坐をかけば、一瞬にして亡国となりましょう。

 


 

  日蓮仏法を世界に広げ行くSGI活動 

 

これは、即ち地球規模での立正安国の理念に基ずき、平和を目指して活動しております。

・・この点を是非正しくご理解下さい。

 

既に人間精神の何たるか・・に目覚めた菩薩の修行を現世で行う人間集団が、世界中で数百万人規模に拡大し、世界192ヶ国地域に広がっております。

遠く南米ブラジル・北米・南北アフリカ各国の地・極寒の地ロシア・太平洋諸国・ノルウェー・

ヨーロッパまで・・日が沈む事が無い・・この地球の全域で、お題目が唱えられる時代になって

おります。

 

人間としてその知力で、災害と数多の障害を取り除くべく、闇を切り開いて行く努力が菩薩行に励む人々の連帯の手で、日夜労作業が続いております。

但し隣国中国のみは宗教弾圧があり正式には広がりを見せておりません。

しかしこの理念を正しく認識している、大学関係者を中心とする知識集団が中国各地に数多く存在し、研究機関も合法的に設立され、日本との交流も盛んに行っております。

 

政府関係者との強いコネクションも持っておりますが、彼らの信奉する理念の差異を越えて、理解を深める努力が営々と続いております。

 

この日蓮大聖人が顕されました国宝である立正安国論は、ひじょうに長い文章であり、これを簡単に要点のみを入門編として記述してみました。

ともかく日蓮大聖人は死期を迎える中に在って、尚かつ弟子にこの立正安国論を解き聞かせた・・

正しく立正安国に始まって立正安国に死して逝った聖人です。

 

この記述の基になった資料類は、関連諸先輩が顕された情報に基づきますが、これに小生が近現在の社会情勢を勘案し独自の見解と、小生が理解する内容を加えて作成したものであり、文責は全て小生に有る事を、予めお断りしておきます。 

 

最後に・・戦争は人間の思想が乱れた結果起こる・・と 

 

皆様のご参考になれば、大変幸甚です。  爺拝