古典に学ぶー その2

  • 2017.02.16 Thursday
  • 16:57

 

            

                                                      近所の森

             爺の喫茶室へようこそお越し下さいました。   

                                                 

        時の流れは速いもので・・季節は早や2月の声を聴きますが、

        小生が住んでいる関西地方では最近降雪が多く、厳しい寒さが続いております。

        皆様のお住まいの地方では如何でありましょうか。

        写真機片手に近所を散歩がてら、雪景色を撮影しております。

        今月もその中から、自宅地近くで撮影しました写真を掲載させて頂きました。

 

さて今月も古典に学ぶーとして魔の蠢動を、昨今の世相と絡めて記述させて頂きますので、最後

までお付き合い下さい。

 



 

プロパガンダの恐ろしさ

 

昨今の世相を眺めておりますと、この想いを深く致します。

その分けは、一般的な新聞TV報道では絶対に表面に出てこない真実を、ネット情報で知る事が可能になったからです。

如何に新聞報道が意図して選択した情報のみを、さも世相の主流であるがの如くのように真実を

ねじ曲げて報道している事に気が付きます。

 

公共報道機関の報道姿勢は一体何??・・と問うてみたくなります。

所謂インテリ層が情報を一方的に支配しているとの印象を持つのは小生だけでしょうか?

しかも時の為政者に擦り寄り的な、プロパガンダとして報道する姿勢を強烈に感じ、その分真実が

歪められて報道されている・・と感じる次第です。

 

いわゆる従軍慰安婦報道も朝日新聞によって、思想操作された虚偽報道により、我が国は国際的に

信用を失墜するという事態に陥りました。

また昨今ではアパホテルの南京虐殺事件に絡む中国の蠢動問題があります。

中国による歴史捏造によって、歪んだ史実として国連機関に於いて正式に認定されるという悲しい

邪悪な事実が存在します。

 

国連機関に登録された南京事件の証拠写真は、偽写真の転用が沢山ありとても史実として認める

分けには行かない、虚偽資料のてんこ盛りであるとの事です。

中国の南京事件の記念館では被害者は30万人と云うデマ看板が堂々と展示されているようです。

史実としては、事件そのものが無かった・・これ全て中華民国の蒋介石政権による国際的な

プロパガンダの一環として、当時広く知られた事実でした。

 

この史実を日本は国連を含みもっと厳しく国際社会に訴求して来なかった・・。

ユネスコへの資金供与に関しても、我が国政府は余にも甘い態度に終始しており、

(国連への分担金の納付を遅らせる程度の対応)

もっと毅然たる態度で臨まなければ、画竜点睛を欠き国際社会でますます信用失墜するだけで

ありましょう。  

霞が関の官僚レベルの質が大きく劣化している・・と指摘出来ます。

 

中国の嘘も100回つけば真実になる的な宣伝に翻弄され、我が国は恥をかかされ続けております。

    しかも我が国では正しい近代史を学校教育で学ばせない・・このような教育姿勢が根本的な問題と

  して内在しております。

歴史を平気で捏造する韓国・中国に加え、これに加担する国内報道機関の存在を皆さま如何お考え

でありましょうか?。

 

今回のアパホテル騒動に関し、中国共産党の卑劣極まる邪悪なプロパガンダには、開いた口が塞が

りません。

この国の共産勢力は一体何処まで腐り切っているのでありましょうか・・。

共産党のプロパガンダに踊らされた中国の市井に生きる人々は、我が国に対して深い恨みを抱き

DNAレベルで植え付けられる・・これは不幸の極みと云わずして一体何と表現しましょう。

 

何処まで行っても真実は一つしか存在しません

ともかく我が国が過去に犯した戦争による負の遺産を、何時までも背負わされる国民はたまった

ものではありません。

中国政府のアパホテルに関する蠢動を見るにつけ、中国統治に悪用されその歪みが社会現象と

して現れていると考えます。

 

その一方で世界各国のアパホテルに関する報道を調べてみると、中国の姿に呆れ果て、自由の無い

倫理観が無きに等しい低俗な国柄である・・との報道が沢山見えます。

国際的な信用を自ら貶めている、この事にすら気が付かない程に悩乱しているように見えます。

共産党体制を敷く国は、この地球上でごく一部の存在となりましたが、人口が圧倒的に多いので

地球規模での悪影響は免れない状況であります。

 

前々回と前回の2回に渡り、アメリカの偽民主主義の実態についても記述させて頂きましたが、世界はさほど腐りきった人々の頭脳によって支配されているのが現実です。

為政者の精神世界の程度が、如何に低いかが正しく理解出来ましょう。

 



 

企業経営

 

企業経営に於いても、行き過ぎたグローバル主義に踊らされ、我が国の平和で安寧な社会構造の

存立を平然と破壊しております。

 

儲ける為には何をしても許される・・と云う企業理念で突っ走っておりましょう。

我が日本には古くは近江商人が如くの、商売は3方全て好とする理念があります。

現代的な表現では、お互いにウイン・ウインの関係でありましょう。

この人間性の発露が世界規模で失われ、ギスギスした世相となりました。

 

その結果、我が国では国民の約16%が相対的貧困層(年収200万未満層)となる事態が出現して

おり、特に若い世代にこの傾向が激しく、子供への学校教育に於いて大きな障害を来す時代に変展

し、悲惨な世相を呈しております。

2月12日のNHK特集で悲惨な貧困家庭の実態が報道しておりましたが、心が痛みます。

 

同じように労働しても賃金に格差を付ける社会構造は、明らかに病んでおります。

これも儲ける為には手段を選ばない・・という稚拙な経済哲学の上に会社経営を営む事で生じた

社会悪現象です。

まったく「頭が腐れば尻尾まで腐る」という社会現象が、我が国でも普通に見られる世の中に

なりました。

 

政府が声高に同一労働同一賃金と旗を振りながら、その裏でまったく逆方向に作用する労働行政を

平然と敷く・・これは一体何と表現しましょう??

まったく笑止千万とはこの事です。

 

先回指摘しました通り、何の権限も国民から負託されておらない竹中平蔵等の輩をこの社会的地位

から排除しなければ、社会は【闇・病み】から立ち直る事は不可能でありましょう。

しかし行き過ぎたグローバル主義は絶対悪でありましょうが、その一方でこれも行き過ぎた

一国主義思想では、世界は幸せにはなりません。

 

アメリカの民衆に代表されるが如く、ヨーロッパ社会でも今度は正反対の方向に大きく振り子が

働いているように見えます。

 

互いが繁栄する、3方全て好とする近江商人的な理念で、我ら地球人は社会建設を成さねば、何処

かで必ず行き詰まり破綻すると観じます。

会社組織は株主の為にのみ存在すると云う、偏った資本主義思想は既に賞味期限が切れておりま

しょう。

 

社会経営の本分は、その公器たる機能が十分に発揮され・株主にも・従業員にも・社会にも3方

全て好とするバランス感覚を研ぎ澄ます事こそが、我ら地球人を真に解放する為の手段であると

観じますが、皆さま如何でありましょうか。

さような簡単な事?すら理解出来ない程、経営者等の頭は悩乱の極みでありましょうか。

 

経済とは経世済民が正しい言葉であります。

経世済民・・この言葉の持つ意味を深く正しく咀嚼すべきでありましょう。

既にご紹介しました先哲である二宮金次郎の言葉が蘇ります。

「 道徳なき経済(商売)は罪悪であり、経済(商売)なき道徳は寝言である 」

この道徳と経済の中間に、正しい経世済民実像が存在するのでありましょう。

 

そしてこの事は日本人をして全世界に訴求する事が、我が民族の使命だと観じますが如何であり

ましょうか。

我等日本人の生きる上での基本的倫理観は、おそらく世界で一番高く3方好の国柄を世界に先駆けて

発信して行くべきと考えており、それが瑞穂の国の有り方であろうと考えます。

他国の悪影響を受け、これも多少ぐらついておりますが、まだ修正は可能でありましょう。

 

韓国・中国に振舞わされず、毅然とした態度で正邪を正しく国際社会に堂々と訴求して行く国柄で

あって欲しい・・。

アメリカのポチ犬的な歪んだ、卑屈な民主主義国家であって欲しくない・・。

何処かの属国ではなく、真に自立した国家の姿であって欲しい・・

 

その為には、隣国の泥棒国家から身を守る正当な術を有する国家であるべきと観じます。

それが我が国の完全な自立への道でもありましょう。

その為の基礎科学・工業技術力は有りますが、残念ながら自立する向上心が不足するように見え、

平和ボケした憲法の欠陥を直す必要があると個人的には強く思います。

 

相互集団防衛条約の締結が可能な普通の国家としての体裁を整えるには、専守防衛権すら放棄する

とも読める現憲法9条は改定すべきである・・が小生の立場です。(防衛交戦を放棄した条文)

 

程度の低い泥棒国家から身を守る為に、法的に必要な最低要件すら満たしていない現行憲法は即刻

見直されて然るべきだと観じます。

お断りですが・・小生は仏法者であり平和主義者であります。

最低限の自己防衛権利は人間の倫理要件に適うと考える者です。

理想は自己防衛が不要な地球市民の連帯構築が夢でありましょうが・・現実社会は・・。

 

自己防衛権を過大に振り回す事は大罪であり、自己防衛権なしは寝言である」と現段階の社会

構造では申せましょう。

理想と現実の乖離は甚だ大きく、現状に即した法体系であるべきでありましょう。

一党独裁の政権維持の影で、大多数の市井の民が塗炭の苦しみを味わっており、もうそろそろ中世

の如くの時代遅れのシステムは、破却されないと人類の進歩は無い・・と小生は強く感じます。

 



 

国家体制

 

北朝鮮の権力維持の目的で殺人が強行されました・・。

政権に纏わる問題は、中国でもまったく同じで民主的な手続きが無しで、平然と人権蹂躙が強行

されます。

さような中世の国家体制は、この地球上から一刻も早く消滅させねばならぬ!と考える次第です。

中国では情報統制を強めているようですが、既に国民はとっくの昔に目覚めておりましょう。

 

経済的にも最近行き詰まり、今年から来年にかけて社会的な動乱が勃発しそうな雰囲気になって

参りましたが、我が国にも多大な影響を被る可能性が大きく、心配しております。(難民等)

最近香港在住の中国人の超富豪が突然行方不明になった・・習近平政府が絡んでいるとの報道が

ありますが、これは彼の国が近代国家への歩みの為に、軋んだ姿であると見ております。

清濁含んで時代の川は流れて行きましょう・・その流れつく先が安寧な社会である事を願わざるを

得ません。

 

中国社会は政権システムが交代する度に同じパターンで数多の血が流れているようであり、悠久の

黄河文明は修正できないものだろうか・・と深く思索させられます。

彼らとの付き合の中いで、中国人から直接聞いた倫理観は、この世には支配者と支配される者の

2種しか存在せず、支配される側の人生観は、如何にすれば生き延びる事が出来るか?これが全て

であり・・上に支配あれば、下には必ず裏処方である対策が必ず存在する(生きる智慧)・・と

聞いた体験があります。

 

支配者層の眼前で如何に云い繕うか!・・出来なければ死が待っている・・このような厳しい社会

で生き延びて来た彼らの生活の知恵を、深く理解する必要がありましょう。

それにしても彼ら漢民族の忍耐の強さは、我が瑞穂で育った人間には理解を越えます。

その忍耐力の限界を超えた時、動乱と政変が起こる・・これが中国社会の悠久の歴史の実態です。

瑞穂の文化的価値観からでは彼らを正確に見抜けません。・・これが小生の経験値です。

 



 

古典に学ぶ― 

 

      

 

さて今回の古典に学ぶーのお題は、生きて行く途上で味わう様々な障害について、先哲の智慧を

ご紹介します。

人生を営む上で、自分の思うようにならない数々の障害が纏い付き、あるものは生命維持にさえ

重大な悪影響を及ぼします。

これらの数々の障害を乗り越える為に必要な、不変的な智慧は無いものでしょうか?

 



 

仏典によれば・・

 

この数々の生きる障害を、 魔!の作用 として表現しております。

これは魔羅(まら)の略語とされます。

更に殺者・能奪命者・障礙(しょうげ)・擾乱・破壊(はえ)・悪者などと訳します。

仏典のサンスクリット語から中国語へ訳する時に使う漢字は、元々の字が当てられていたそう

ですが、中国の梁武帝の時代に魔の文字が作られて、以後この文字を訳語に使うようになった・・

とあります。

 

この魔の存在は、人々の内面に住し自身の生命傾向を大きく左右して人生に大きな影響を与える

存在と、自分の人生を大きく左右する外的要因となる魔の存在に分けて考えられます。

 

いすれも人生に取って負の要因を成す言葉の集合体として扱われます。

魔には以下の種類に分けられます。

 


1)三魔

  三味魔・・自ら体得した禅定(清き心)に満足して向上心が無い故に、更にその上の正法修行              の障害になること。

善知識魔・・ 自分が習得した善なる知識と云うものに執着し、むさぼり他の人々を導いて行く事

       が出来ないという障りが有って、上位の正法修行の障害になること。

菩提法智魔・・菩提法(成仏に至る法)に於いて、ひたすら智に執着する為に正法の姿を覆い隠す

       故に慧の生命を損なう姿。


 2)四魔

   五陰魔・・自分の体(色)と意識(心)の総称を五陰と申します。

        その生命体が織りなす様々な苦悩に対してこの名前を付けます。

        陰魔・五衆魔・薀魔(おんま)とも申します。

   煩悩魔・・貪瞋痴などの煩悩が引き起こす数々の苦悩に名前を付けます。

       人の善心を妨げ衆生の心を悩乱させる生命傾向です。

              仏法上では自身の精神修養を妨げる存在をも含んで表現します。

   死魔 ・・死の苦痛で、人の生根を絶つ故に名を付けます。

   天子魔・・第六天の魔王の働き・現代的には権力者の迫害などに当たる。

    

上記の三障に加え四魔と合わせ三障四魔と表現されます。


3)八魔

   四魔とは一般の凡夫に対する障りの表現ですが、既にご紹介しました十界の生命境涯である

       声聞界と縁覚界に対して更に下記が追加されます。

   無常魔・無楽魔・無我魔・無浄魔の4種を加えて表現します。

   凡夫の生命から、精神的修行を積んで上位の境涯に到達する過程で生じる様々な精神の障りの

   部分です。


 4)十魔

   五陰魔・煩悩魔・業魔・心魔・死魔・天魔・善根魔・三昧魔・善智識魔・菩提法智魔の十種の            魔を指して十魔とします。

 

        業魔・・殺害などの悪業によって正法を修める(修行する)場合の妨げとなり、慧命を害する

                    働きです。

        心魔・・憍慢(きょうまん)な心の為に正道の障りとなり、慧命を害する働きです。

        死魔・天魔・善根魔・・

             合わせて自得の善根に執着して、精進しない為に正道を被い慧命を害する働きです。

        三昧魔・善智識魔・菩提法智魔・・

            正法を修行する時には必ず魔が競い起きて修行の障害になる。

            その中でも高度な領域に於ける精神世界の障りです。

 


 

天台大師が顕された魔訶止観の巻五上には下記の記述が見られます。

 

  「 行解既に勤めぬれば、三障・四魔、紛然として競い起こり、昏を重ね散を

    巨(おおい)にし、定明を翳動(えいどう)す。

    従うべからず、畏るべからず。 之に従わば、将に人をして悪道に向かわしむ。

    之を畏るれば、正法を修することを妨ぐ 」

  

 とあり、正法を修める者の心得を説いております。

 日蓮大聖人は、我々庶民に対しては魔が競い起こる事への警告として以下の

 御文が伝わっております。

 

  「 凡夫の仏になる又かくの如し、必ず三障四魔と申す障り出来たれば賢者は

    喜び愚者は退く これなり。 」

   

  凡夫が仏になる為に、正法を修行しようと試みると、必ず三障四魔が紛然と競い起こるが、賢者は

  魔が出現した事を修行の証として喜ぶが、愚者は魔を避けようと懸命になって、修行を止めて

  しまう。

  仏道修行が進めば進む程、それを阻もうとする抵抗勢力の蠢動(魔)が激しくなり魔を魔と正しく

  見破る事が出来る強い精神力(信仰精神)によって仏道修行を成就し、仏界へと至る事が出来る

  との 指南になっております。

 

  このように魔の存在は、殺者・能奪命者・障礙(しょうげ)・擾乱・破壊(はえ)・悪者と定義

  されており、特に殺者・能奪命者の働きには十分過ぎる注意が必要となります。

  正法を学び修行が進むと、一般世間では自分に対して世間からの外的な圧迫が、も凄い勢いで生じる

  事は、小生の体験からも頷けます。

 

  所謂世の中を渡る時に、正しい人間道とする倫理観を正面に振りかざせば、翳す(かざす)ほど

  自分の人生に対する邪悪な存在が牙を剥いて襲って参ります。

  これは会社で仕事をする上で、数々体験しました。

  この世間の作用について、日蓮聖人は下記の如くに表現されております。

 

「 この世界は第六天の魔王の所領なり

  一切衆生は無始己来 彼の魔王の眷属なり・・云々 」

 

  この魔王である第六天の魔王は、衆生は仏になる事を嫉み、執拗に正道を修行する事を邪魔し、

  大きな妨害要因として我が眼前に立ちはだかります。

  では何故そのような作用を、修行を積もうと試みている者に及ぼすのか?

 

  日蓮聖人は以下の如く指摘されております。

    「 元品の無明と申す第六天の魔王が、一切衆生の身に入って、仏をあだみて

      説かせ まいらせじ と せしなり 」

 

  ここで指摘されております、元品の無明とは衆生である凡夫の生命に本来生まれ乍に備わっている

  根本的(本源的)な迷いの精神境涯の事です。

  この根本的な迷いの境涯が、凡夫の生命体をして最悪の第六天の魔王として顕れそれる事と、その

  裏腹の関係で元品の法性(悟りの境涯)と、隣り合わせで同時に包含されており、何かを縁にして、

  元品の無明の境涯が魔の姿として現れると理解出来ます。

 

  この元品の無明が顕れた相手に対しては、仏道修行をする者は以下の心得が必要になると日蓮聖人は

  指摘されております。

 「 此の本法を受持するは、信の一字なり。 元品の無明を対治する利剣は

   信の一字なり。無疑曰信(むぎわっしん)釈 之を思う可し 」

 

 正しい仏道をひたすら信じて疑わず、ただ一貫してその精神をき通す精神力を涵養する

(信・行・学)事こそが、第六天の魔王に勝つ要諦である・・とのご指南であります。

 

 この第六天の魔王は、時には己の生活基盤を完全に破壊し生命維持にも係わる程の破壊力を秘めて

 おります。

 この外的要因は、結局自己生命の内部に涵養された元品の法性である悟りの境涯と云う利剣でしか

 対決する事が出来ません。

 魔の出現を正しく見抜く眼力は、己の生命境涯が無明に被われていれば、決して見破る事すら叶い

 ません。

 



 

     小生の体験から・・

 

  小生の場合も己の生活基盤を完全に破壊されるような、第六天の魔王が蠢動しこれと真正面から対決

  し勝ち越えた実績があります。 

  人権を完全に無視し権力の横暴の限りを尽して、人々を弾圧する境涯の人物が第六天の魔王の存在で

  ありましょう。

  小生が対決した第六天の魔王は、その魔王自身の命が病魔に襲われ、結局生命を落す事で最終決着を

  見ました。(正義は必ず最後には勝を証明)

 

  この恐ろしい強敵と真正面からぶつかるには、己の生命をかけた勇気が必要となります。

  その強靭な精神力は何処から生まれるか・・これは間違いなく人間としての正しい倫理観に基づく

  正義感(仏の境涯の一端)から生まれます。

  故に勇気が無い愚者は退き、賢者はこれを機会として己を鍛錬する場として活かし、己の次の

  ステップへと成長して行くチャンスと捉えます

   

     故に元品の無明に差配された、権力者(為政者・会社経営者)は他の生命をも左右する故に強敵の

     存在となりますが、逆に元品の法性として権力者に顕れた場合は、その人の周囲は間違いなく

   羲嚢の世の姿となって顕われましょう。

これは国レベルでも・会社組織レベルでも・地域生活の自治体でも家庭でも、その存立基盤として

の現象はまったく同じ理屈が成立しましょう。

 

故に己一人が厳然として立つ!!

その理念・生き方が世の中を変えていく要諦となる次第です。

魔群に対しては決然として己から立つ!との思いで、己の納得が行くまでこれと対決し生き行く

姿が、己を成仏の境涯へと誘って行く根本的な要諦となりましょう。

 

故に絶対悪に対しては妥協してはならないと仏典では繰り返し説いております。

上記のアパホテルの中国からの邪悪なプロパガンダ騒動も、当該社長の確固たる信念の元に展開

されおり、彼の社長は決して負ける事は無いでありましょう。

彼の社長の行く手には羲嚢の世が広がっておりましょう。

 

因果俱時であり、結果は明らかで魔群の究極の姿は、既に崩壊の二字が見えます

悩乱した元品の無明の共産党政権の行く末は、甚だ残念ながら?既に決しております。

 

加えて仏の生命境涯能忍と訳します。

よく耐え忍び、正論を曲げず魔を相手にそれを矯正して行く強靭な生命力と、勇気を持った行動力

の姿なのであります。

高い倫理観と行動力が求められるのが仏の境涯なのでありましょう。

口ではいくら立派な事を云えても、行動力を伴わない人物は決して境涯が高いとは申せません。

故に仏道修行を志す者は常に、信・行・学の一体化が問われております。

 

この世を渡る上で理不尽な事が余りにも多く、己の思うようになりませんが、

人間としての精神境涯の元品の無明の世界と、それの対局の元品の法性との対比で考えると、社会構造が正しく理解できる・・と云うお話でした・・。

 

精神的に魔群に追い詰められ、我が生命を自ら断つと云う真に悲しい現実があります。

これも甚だ残念の極みながら、魔群に食い破られた哀れな姿なのであります。

 

我が命を張る程なら・・それに相応しい生き方が必ず存在します。

正々堂々と真正面から、この魔群と戦うには我が生命に強靭な仏の境涯を必要とします。

この機会に今まで小生が記述して参りました、仏法哲学の数々をわが身に沁み込ませ生活の糧と

されます事を望んで止みません

 

決して魔群である能奪命者の働きに己の精神を食い破られ、我が道を失ってはなりません。

この世で、我が生きる道を諦める・・真にこれこそが能奪命者が勝利する姿なのです。

魔群は如何にして諦めさせるか・・ここを突いて参ります。

 

 日々の生活の上に惹起する邪悪な魔群に対して、決して負けない・・正しい人生を歩む術の

 一端として、先哲の智慧を記述してみました。

   お役に立てば真に幸甚です。

 

 なお不明点・ご感想・相談など御座いましたら通信覧に記述して下さい。

 個人情報の守秘義務は完全に保証されております。

 

 

  本日は此処までとさせて頂きます。 爺拝

  写真Data:撮影機材・・Pentax K-1  F4.5 80-160mm 645用レンズ 撮影・マニュアルモード

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